最近、おにぎりの形状がどうこうと曰った非常に不愉快な文章を恥ずかしげも無く投稿しているサイトを、偶々見かけた。インターネットの功罪について今更意見を申し立てるものではないが、余りに低いレベルの会話をされるとこちらの頭も悪くなってしまう様で、非常に不愉快だ。

そもそも、彼らはおむすびとおにぎりの違いを理解しているのだろうか?
おにぎりは、握り飯という言葉に対しての丁寧語、幼児語が期限であり、その発生は比較的新しいものである。対して、おむすびという言葉の期限を探るためには、古事記にまで文献を遡らなければならない。

おむすびと聴いて思い浮かべる形状とは、どんなものだろうか?三角形?丸形?俵形?様々を思い浮かべるだろうが、三角形以外はおむすびではない。単なる握り飯である。
実は、おむすびが三角形であることの意義は非常に深く、古代からのメッセージが込められているのである。

三角状の立体は、古代日本における神奈備であり、神の霊力を意味しているものなのだ。神奈備というのは、一般的に大和の三輪山や耳成山に代表される綺麗な三角形をした山を指すが、本来の意は<かみなび・かみなばり・神隠>の義であり、神が存在する神秘的な領域を云う。つまりは、おむすびが三角形なのは決して偶然ではなく、古代日本人の強い意志が伺えるのである。
また、日本人には独自の数理の観念が備わっている。
一は、絶対の不変であり、万物の根源。
二は、一に対立する世界。つまり、対照的な相反する形としての二。
三は、二つの対立を超越した完全な調和を意味する。

完全な調和を意味する三として、日本人が先ず思いつくものは、古事記における天之御中主神・高御産巣日神・神産巣日神であることは云うまでもないが、ここで注目すべきは高御産巣日神・神産巣日神に共通する、産巣日「ムスビ」という読み方だろう。

日本人における米の起源は、古事記に記されてた須佐之男命に殺された大気津比売神の二つの目から稲種がうまれ、これを出雲の神である神産巣日神が種としたことが始まりとされている。

つまり、古代出雲の人々は、神産巣日神を象徴する五穀第一位の米を神奈備の形に握り、これを尊称しておむすびと名付けたのである。当然形は三角形立体であり、それを食することによって神産巣日神の霊力を体内に宿ることを期待したのである。

と、ここまで序盤の理論展開として表面的な結論を書き連ねてきたが、あのページから飛んでくるような輩にはどのような論法を用いても理解する事は難しいと考える。
私の説明能力には自分自身一部の不満をも感じてはいないが、論議のレベルは下げれば下げるほど真意とは遠くなるものだ。

悲しいかな、ここまでが限界である。

なんて、ひさびさにこんな文章を書いてみたり。
結局の所、おむすびは、おいしければ勝利。
おいしい韓国海苔をさっと炙ったものを絶妙の塩加減で握ったおむすびにつけて、食す。
うーん、食べたい。

韓国海苔と浅草海苔についても云いたいことは非常にあるが、ながくなるので辞めておこう。

 

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