メンバー紹介

メンバー
紹  介
若夫婦

共に33歳。学生時代からの付き合い。妻は少々怠け者。夫はふつうのサラリーマン。休日は家族団欒を大切にするよき夫です。
小学2年。自分勝手な親のせいで、2学期の始業式を休まされ、夜帰宅後、翌日から学校へ行かされるかわいそうな子。
息子 歳。わけも分からず、生意気にも大人同料金で今回のツアーに参加。しかし、飛行機内ではマンマとジュースが、つぎつぎと魔法のように出てくるので感激してた模様。
おじいちゃん ばりばり昭和一桁生れ。古いが確実な方法として腹巻きに現金や帰りの飛行機の切符をしまうが、帰る時になって成田・伊丹の国内のチケットが1枚無いのに気付き、おばあちゃんや私たちに一体何やってんだかと、ほとんどバカにされ少々威厳消失気味。
おばあちゃん おじいちゃんの4歳年下。実はこっちのほうがかなりしっかりしてる。中国に惹かれ50歳後半からNHKラジオ中国語会話で中国語をマスター。今や日常会話なら大体OKらしい。おじいちゃんは一緒に中国語をやると進歩に差が出るといって英語をやってるらしいが、どう聞いてもそれは、お経にしかきこえず、すっかり負けている始末。



日 程

最初HISで頼んでたのが対応の悪さで気分を悪くし、MAPツアーに変更。
が、なんとHISとMAPがその後合併するという結果になろうとは・・・。

日  程
スケジュール
97年8月25日 成田で両親と待ち合わせ後、NWで夕方4時過ぎ出発。
同日より31日までペンシルバニアホテル滞在。
97年8月27日 メトロポリタン美術館へ。
97年8月28日 午前自然博物館へ。夜、ミュージカル 「KING and I 」観劇。
97年8月29日 現地ツアーでナイアガラ日帰り旅行へ。
97年8月30日 ヤンキース 対 カナダエキスポーズの試合を見に行く。
97年9月 1日 帰国


セントラル・パークの子守歌(Part1)by Kazuko Maeba in Yokohama
老若男女ファミリー、無事帰ってまいりました。とっても楽しかったです。すぐまた行きたくなってしまうくらいに。

小さい面積なのに行き残したところも多くて、ほんとに楽しめるのは、リピーターからですね。NYでは、家族全員ずっと時差ぼけで、おかげで夜中の3時半からおきて、活動は早く始められたのですが、日中ボーっとしてしまい、バギーには上の7歳の娘が乗って眠り、下の2歳の息子はだっこひもでお休みという状態でした。
ホテルは、色々と変遷の末、最終的にラマダペンシルアでした。ちょっと古くてびっくりしましたが、ペン駅の向かいなので移動にはすごく便利でした。空港からホテルまでの送迎添乗員の人が、ペンシルバニアの付近は見るところもないし、危険だからタクシーで移動したほうがいいとか、なかば、オプショナルツアーに行きなさいとばかりに言われたのですが、夜の9時ぐらいまでなら、表通りなら家族連れの観光客がいっぱいいて、見るところもMACYS、モール、99¢ショップ、DELIとたくさんありました。

着いた日にエンパイアステートビルへ。
2日目は地下鉄でSouthFerryまで行き、スタテン島行きフェリーで自由の女神を拝みました。海から見るマンハッタンはやっぱり素晴らしいものでした。なんだか通勤の人ばっかりでカメラ片手にはしゃいでるのはわたしたちだけでした。でもあれだけ乗ってて無料っていうのはびっくり。予算と時間に限りある旅行者にはもってこいでした。
その後、歩いてウオール街へ行き、ニューヨーク証券取引所を見学しました。イヤホンに日本語解説がありよく理解できました。映画のウオール街とか観てて、もっと巨大なスペースを想像してたのが以外と小さかったです。
その後その辺をぶらぶらして、ナイアガラツアー予約のため、バスM6で5番街までもどりました。バス停で親切そうな紳士がいたので、乗り換えなくてもこれで行けるか聞くと、私がよほどたよりなそうにみえたのか、違う席に座ってたのに、わざわざまえに座り直し、私も一緒に降りるからと言うのでした。
最初そんなこと、いってなかったのに。実は、旅行会社の名をいっても、その人はわからないと思い、その近所のロックフェラーへいくと言ってたものだから、バスを降りても、ここをこう行って、あそこをまがってと説明してくれ、私たちがそう行くまで、後ろから見送ってくれてるのです。仕方なく、笑顔でThank Youをくりかえし、しばらく歩いて、さあ戻ろかと引き返すのでした。
JTBでツアーを申し込んだ後、早くもアメリカ・コテコテandボリューム料理に胃を悪くしてた一行は、鬼が島といううどん屋へ行き、きつねうどんを食べたのです。外国に日本料理屋があり、また流行るわけがよくわかりました。

そのあと5番街をいろいろぶらつき、最後セントラルパークでめちゃくちゃ眠かったので、順番にベンチで熟睡しました。
我家のバギーはすごいおんぼろで、そこへ着替えのビニール袋や食べ物を、いっぱいぶら下げてたので、NYのホームレスの人がよく拾ったようなバギーに空缶や衣類をのせて徘徊してるので、間違えられないか不安になりました。NYの警察が、びっくりするぐらいあちこちでパトカーや自転車でパトロールして、そういうホームレスに、移動するよう指示してたのです。おかげで、私たちおのぼり観光客は、安心して旅行を楽しめました。この続きはまた今度書きます。
ではまた。
●Maebaさんへのご連絡はここからどうぞ(maeba@butaman.or.jp)。
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