21世紀の仕事

我々はお金がないと暮らせない社会に住んでいるので、お金を稼ぐために仕事をする。何かお金になる仕事があって、それをたくさんの人がやると産業になる。自分の家族の食事を作るのはお金にならないから、仕事ではあるが産業ではない。自給自足の時代には産業というものはなかったわけである。多くの人が「自給自足の世界」から外に出ていくことで産業というものが始まる。産業は発展する段階によって分類され、農業や漁業のように自然の産物を売るのが第一次産業、自然の産物を加工して売る工業が第二次産業、モノ以外の何かを売るサービス業が第三次産業、ということになっている。

20世紀は、産業の発展段階でいうと2番目の工業化の時代だった。20世紀には工業が拡大しただけではなく、他の産業も工業化されてしまった。農業は機械化され、温室や工場で植物が栽培される。大規模に画一的な作物を作る農業は工業化しているといえる。ファスト・フードやファミリー・レストランはサービス業ということになっているが、店では工場で仕込まれた食材を温めるだけだし、画一化された最低限のサービスしか受けられない。つまり、20世紀のサービス業の多くは工業の一部なのである。

なぜそうなったのだろうか。産業というのは「お金になる仕事」だから、より多くの利益を得るために仕事は効率化される。効率化するには規格品を大量生産すればよい。大量生産と工業はほとんど同じ意味である。少量生産はサービス業や自給自足に近くなる。規格品を大量生産しようとすると、消費者に提供する製品だけではなく生産者の生活環境まで規格化される。そういうわけで、20世紀には我々の生活の全てが工業化されたのだった。

ところで、最近は生産の効率化が進みすぎて工業関係の仕事がどんどん減りつつある。人間があまり仕事をしなくても、充分にモノが作りだせるようになったのだ。つまり、工業化の段階は終ったということである。まだ工業化途上の国もあるが、その国で新しい工業が生まれているわけではなく、いわゆる先進国にあった工場が移っているだけだ。工業化が終ったので、これから先我々は工業化(=規格化・画一化)とは別の発想でお金を稼がなくてはならなくなる。

産業とは「お金になる仕事」であり、「お金になる」という部分だけをつきつめると、どうしても「大量生産→大儲け」という風に工業的発想になる。「産業」という視点で見ると、全ての仕事は工業化するのだ。しかし、工業以外の産業まで工業化して規格化・画一化を目指していたのは、工業中心の20世紀の特殊事情である。第一次産業は自然を相手にするのだから、もともと生産者の環境に応じて多様なものだったはずだし、第三次産業は個別の消費者の多様な事情に応じるものであるはずだ。

工業化の時代には、個別の事情というのは規格化・画一化のために切り捨てられたが、これからは個別の事情というものが仕事のタネになるだろう。個別の事情に応じて臨機応変に問題を解決するのが21世紀の仕事である。個別の事情に応じるのは手間ヒマがかかって「大量生産→大儲け」という発想ではうまくいかない。つまり、あまりお金は儲からない。でも、規格に縛られる必要がないので自分の個性を活かせる可能性がある。