面倒はお気楽の素

我々の生活には面倒なことがたくさんある。面倒なことはやりたくないものである。面倒なことはできるだけ他人に任せて、自分は関わらないようにしたい。しかし、面倒なことは常に現実に存在している。いくら頑張って関わらないようにしても、面倒なことが無くなるわけではない。「面倒なことに関わらない」というのは、現実に存在する「面倒なこと」を見なかったことにしたり深く考えないようにしているだけである。面倒なことに関わらないようにしていると、現実の世界に「見たくないこと」や「考えたくない」ことが増えて、視野が狭くなってしまう。

物事が面倒なのは、それに慣れていないからである。「自分がよく知らない現実」に出会うと面倒くさく感じるのだ。でも、その現実に慣れると面倒くさくなくなる。面倒なことに慣れたら、「見たくないこと」が減るから視野が広がるし、自分の知らなかった現実を知ることになるから現実が前よりハッキリ見えるようになる。

面倒なことを避けていると「面倒なことを避ける」という習慣が身に付く。面倒なことを避けるのがクセになると、自分のやりたいこともできなくなってしまう。「やりたいこと」も、最初は慣れなくて面倒なものに決まっているからだ。それに、「やりたいこと」を追求していくとどこかで壁にぶつかる。その壁を抜けるためにはいろいろ試行錯誤するしかないが、それもすごく面倒くさい。やりたいことでも面倒なものは面倒なのだ。

自分のやりたいことができるようになるには、「面倒なことを避ける」という習慣から抜け出す必要があるが、どんな習慣でも抜け出すのは大変である。ひとつの習慣から抜け出すには、別の習慣を作らないとしょうがない。面倒なことを避ける習慣から抜け出すには、面倒なことを自分でやろうとするクセをつければよい。面倒なことは慣れないことだから、自分でやろうとしてもうまくいかない。そういう時に大切なのは、落ち着いて状況をよく見てゆっくりと慎重にやることである。

物事が面倒なのは、どうすればいいのかをいちいち考えながらやらなくてはならないからだが、面倒なことでも何度もやっていると慣れる。慣れるというのは身体が覚えることで、身体が覚えると何も考えなくてもできるようになる。何も考えずにできるとしたら、他のことを考えながらでもできることになる。面倒なことに慣れると、今やっていることとは無関係にいろんなことを考えることができるようになるのだ。頭の中に余白ができるようなものである。そうやって自由にものを考えられるようになると、前よりお気楽になる。