何もしないことの価値

電子書籍「理想論」

やりたいこととは「やらずにいられること」である。やることもできるし、やらないでいることもできる、という選択の自由があってこそやりたいことだと言えるのだ。何かをせずにいられない場合、我々はその何かに束縛されている。何もしないでいられるというのは、そういう束縛がないということである。つまり、何もしないでいられるのは自由なのである。自由とは「思ったとおりにできる」ということではない。思ったとおりにやろうとすると、やるべきことが生じてそれに束縛されてしまう。

何もしないでいられる人は、何もしていない状態が基本である。基本が何もしない状態だから、何かをしているのは「やりたいからやっているのだ」ということになる。やりたくないこともやっているかも知れないが、その場合も自分の意志でやっていると考えることができる。何もしない状態を基本にすると、やっていることの全てを自分の意志でやっていることになる。

何もしない状態が基本にあるなら、あえて何かをするのは結果を求めるためではない。途中のプロセスを楽しむためである。ものごとのプロセスを楽しむには、何もしないでいられるようになる必要があるのだ。普通は何もしないと退屈になる。退屈を克服するには想像力がいる。想像力を開発するのには時間がかかる。退屈だということは時間はあるのだから、とにかく何かを想像すればいいのだ。

何かを想像しようとすると、いやなことばかり考えてしまうことがある。その場合は、それに打ち克つようないいことを考えるのが想像力の役目である。逆に、いいことばかり考えてしまう場合は、現実から離れ過ぎないように悪いことも考えた方がいいかも知れない。...とか色々なことを考えていると全然退屈なんかしないのだ。

ところで、何もしないとは言っても、呼吸とか飲み食いとか排泄とか睡眠とか、生命を維持するための活動はやらないわけにはいかない。そういう意味では、生命活動は束縛である。しかし、基本的に生命活動は快である。生命としての状態が良ければ、食べ物はおいしいし、いいウンコが出るし、気持ちよく眠ることができる。しかし、悩みごとなんかがあると生命活動は不快なので、生命活動の束縛から逃れたくなる。

悩みごとの解決には、何かの行動が必要である。行動は生命活動の一部だから生命活動を快と感じている方がうまくいく。必要な行動は待つことかも知れない。待つことは何もしないことである。生命活動を快と感じていると、何もしないでいられる。どちらにしても、悩みごとを解決するには、悩みごとに打ち克つようないいことを考え出す必要がある。いいことを思いつくと、一時的にせよ気分が良くなって、行動したり待ったりするのもうまくいくのだ。

 → やりたいことをやる