All you need is love

本当にやりたいことは、やらずにいられないことではない。「やりたい」というのは自分の意志だ。やらずにいられないことというのは、我々の意志とは無関係にやる必要があるわけだから、本当にやりたいこととは言えないのである。愛についても全く同じことが言える。ロックの歌詞なんかでよく“I love you. I need you.”などというのがあるが、必要なものを求めるのは愛ではない。必要のないものを求めてこそ愛である。

必要とするのは自分の都合である。自分の必要なものは自分のものにしたい。それは愛のように見えるが、必要なものが自分のものにならないと憎悪に変わったりする。必要なものが得られないので怒り出すわけである。あるいは、自分が必要だと思ったものを愛しているつもりでも、手にいれてみたら自分の思っていたのと違うというので放り出してしまったりする。そういう場合は愛が変化したのではなくて、始めから愛じゃなかったのだ。

必要のないものを求めるのが愛だと言っても、必要ないんだったら求めなくてもいいし、すぐ放り出すこともできるじゃないか、という気もする。それはその通りだ。必要ないものは求めなくてもいいし、手に入れたとしてもすぐに放り出すこともできる。「にもかかわらず」自分の意志で求め自分の意志で放り出さずにいるのが愛するということである。必要ないからこそ自分の意志が発揮できるのだ。

しかし、必要のないものを受け入れるのは簡単なことではない。我々はそんなに余裕しゃくしゃくで生きているわけではないので、必要のないものというのはただ必要ないというだけじゃなくて、ほとんど不都合に等しい。つまり、不都合を受け入れるのが愛である。不都合は現実についての情報だから、現実を受け入れるのが愛だとも言える。ジョン・レノンも言っているように“Love is real”なのだ。

我々は生きていくうえでいろんなものを必要とする。必要なものを手にいれたり不要なものを放り出したりする。それは完全さの追求であるとも言える。我々は完全になろうとし続けることもできるが、あきらめて自分の不完全さを受け入れることもできる。そして、自分の意志で自分の不完全さを受け入れてしまうと気楽になれるのだと思う。完全になるために色々なものを必要としなくなるからだ。

自分の不完全さを受け入れるのが自分を愛するということだ。自分を愛するというとナルシシズムみたいだが、ナルシシズムは「自分は完全だ」と思い込むことだから逆である。自分の不完全さを受け入れるのは、結構つらい。しかし、現実には誰だって他人からみれば不完全なのであって、それを自分で認めるのがつらいだけだ。

自分は不完全な人間だと考えることは気分の良いものではないが、不完全な存在は愛される。愛されるというのは「不完全なものとして受け入れられる」ということだから、完全であろうとするのは愛されるのを拒否していることになる。自分の不完全さを受け入れるのは、自分や他人を愛することだ。お気楽には愛が必要なのである。