自己表現とは何か

電子書籍 「理想論」

自己表現というのは、自分の中にある「何だかよくわからないもの」を何かの形にして外に出すことである。よくわからないものを外に出すのは、自分を把握するためである。何だかよくわからないものをわかりたいときに、自己表現が必要になるのだ。「私は自分のこういうところがよくわからない、わからないけど、これは私の一部です」というのが自己表現なのであって、自分がよくわかっていることを他人に伝えようとするのは自己主張である。

自己表現は何だかよくわからないものを相手にすることだから、意識的にやろうとすればするほど難しくなる。意識的に何かを表現しようとすると、どうしても力んでしまって「よくわかるもの」しか出てこない。かといって、無意識的な垂れ流しみたいな表現というのも、わけがわからなすぎて困る。自己表現は、自分の内側のよくわからないものに目を向けながら、それをわかりやすい形で外に出すというややこしい作業なのだ。自分の中にある「よくわからないもの」を自分の外に出したうえで、なるべくわかりやすい形にうまく加工することができれば、何となく自分のことがわかるのである。

自分の中にあるものがよくわからないのは、人間が複雑で混沌としたものだからだ。よくわからないのは当り前なのである。わかったつもりになろうとすると、よくわからない部分は逆に増える。よくわからない部分が増えると、何となく不満になる。その不満を外の世界に向けるのが自己主張である。自己表現というのは、よくわからない不満を自分で解決しようとすることである。自己満足への試みの副産物が自己表現なのだといえる。

自己表現というのは、欲しいものを自分で作り出すことである。自分が欲しいものは自分の感覚を満足させるものだが、それが具体的にどういうものなのかは実際に作り出してみるまではよくわからない。何かを作り出したら、それが自分の中のよくわからないものだったのだとわかる。自分の感覚を満足させるものができたら、他人に理解されなくても一応の満足が得られる。他人に認められなければ満足できないとしたら、そもそも自分が満足していないのである。そういうものは自分の感覚に従って作り出したのではないということになる。

自分の感覚を頼りにして何かを作り出すという作業は孤独で面倒くさいから、他人に何とかしてもらいたくなる。しかし、感覚の微妙な違いこそが人間の個性なのだから、自分の感覚を満足させられるのは自分だけである。奇跡的に出会った他人が自分を満足させてくれることもあるかもしれないが、そういうのは期待してもダメである。自分を満足させるには、自分の感覚の微妙な部分をどんどん深く追求していく必要がある。そうやって自分の感覚を開拓した人だけが、他人を満足させることもできるのだ。

 → 他人と違うこと

 → 創造性と無秩序