民主主義は多数決か

民主主義の基本は多数決である。民主主義の前には「一部のエライ人達が何でも勝手に決めてしまって、その他大勢の意見は無視される」という社会があった(今でもある)。そういう社会のシステムはわりと単純である。権力が一部に集中しているからだ。しかし、社会が複雑化すると、複雑な社会システムを動かすために一般庶民を教育して、ある程度の権限を与える必要が生じる。教育を受けた一般庶民は自分の意見を主張するようになり、そうやって「その他大勢」の意見が無視できなくなると多数決の民主主義になるわけだ。

自分の意見を主張したい一般庶民にとっては多数決の民主主義がいいということになる。だが、多数決の民主主義も完璧ではない。現在の民主主義は間接民主主義だから「多数決でエライ人達を選ぶ」ことになって、「やっぱり一部のエライ人達が何でも勝手に決めている」という状況も生まれる。そういう状況はあまり民主的ではない。最近、地方自治体で住民投票条例が流行っているのは「エライ人には任せておけないから、直接民主主義を導入しよう」ということだろう。

ともかく民主主義の基本は多数決なのだが、「多数決の結果、選択されなかった少数意見をどうするのか」という問題もある。「多数決の結果には全員が従わなくてはならない」というのは全体主義である。少数意見も尊重しないと民主的であることにはならない。ところが、少数意見を取り入れれば取り入れるほど社会システムは複雑で非効率になる。だから、近代化を目指して効率を優先する時代には少数意見は切り捨てられがちだ。その後、社会が豊かになると少数意見を取り入れる余裕が生まれる。というより、社会というものは少数の意見を取り入れることで豊かになる。

少数意見を尊重したとしてもまだ不充分だ。民主主義といっても参政権があるのは大人だけである。子どもたちにとっては、民主主義というものも「大人が勝手に決めてしまう」という非民主的な制度だ。子どもたちは民主主義の多数決に参加できない。過去に生きていた人もこれから生まれてくる人も他の国の人も参加できない。民主主義の多数決は「今ここで生きている大人」だけで勝手にものごとを決める制度である。

民主主義の多数決に一票を投じる権利を持っている人間は、「一部のエライ人」なのだ。多数決に参加する人間が「票を持っていない人々」のことを考えなければ、その社会は「自分勝手なエライ人がたくさんいるだけ」という非民主的な状態になる。多数決は民主主義の本質ではないのだ。少数意見が切り捨てられず、多様な意見を取り入れた結論に至ることが民主的なのである。

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