思い込みが大切

自分のやりたいことをやっている人は、面倒くさいことをやっているように見えるものである。面倒くさいこととは何か。面倒くさいのは手間ヒマがかかることのような気がするが、自分のやりたいことでなければ手間ヒマのかからないことでも面倒くさかったりする。自分のやりたいことなら、手間ヒマがかかることでも面倒くさくない。つまり、面倒くさいかどうかは「手間ヒマがかかるかどうか」とは関係ないわけである。物事が面倒くさいかどうかは「自分がやりたいかどうか」で決まる。

我々は「面倒くさいからやりたくない」と考えがちだが、それは逆で、「やりたいことじゃないから面倒くさい」のである。要するに「自分のやりたいこと」以外は何でも面倒くさいのだ。やりたいことだけが面倒くさくないのは、やりたいことには集中できるからである。何かの作業に集中すると、「面倒くさい」という気持ちはどこかへ消えてしまう。ものすごく集中している人は、ものすごく手間ヒマのかかることを平気でやっていたりする。

我々が自分のやりたいことをやろうとするのは「それをやれば何かいいことがある」と思っているからだ。何かを「やりたい」という気持ちには、そういう短絡的な思い込みがある。思い込みというのは、他人から見るとわけがわからない。わけがわからないのを好意的に言えば「すごい」、見下して言えば「アホらしい」になる。だから、自分のやりたいことをやっている人というのは、他人からは「すごい」か「アホらしい」かのどちらかに見える。どちらにせよ、何でそんな面倒くさそうなことをやるのかがよくわからないのは同じだ。

やりたいことをやれば本当にいいことがあるかどうかはわからない。そこをハッキリさせようとすると、思い込みを排除しなければならなくなる。ところが、「やりたい」というのは思い込みである。「やりたいのはなぜか」とか「やると本当にいいことがあるのか」を冷静に分析しようとすると、「やりたい」という気持ちはどこかに消えてしまう。自分が何かをやりたい理由や、それをやるとどうなるのかは、実際にやってみた結果でしかわからないものなのだ。