集中力の使い方

集中力というのは一種の魔法である。集中力という魔法を使うと、時間が伸びたり縮んだりする。といっても、実際に時計の動きが速くなったり遅くなったりするわけではない。何かに集中した本人がそういう風に感じるだけである。集中力は、時計が示す客観的な時間に影響することはなく、我々が実感する主観的時間を変容させるのだ。つまり、この魔法は他人には通じないのである。他人に通じない魔法がいったい何の役に立つのだろうか。

普通、我々にとって面白い時間は短く、面白くない時間は長く感じられる。面白かったら「ああ面白かった、え? もうこんなに時間がたったのか!」、面白くなかったら「ああ面白くないなあ、まだこれだけしか時間が経っていないのか」という具合である。できれば、「自分にとって面白い時間を長く感じて、面白くない時間を短く感じる」ようになりたい。それは普通と反対だ。そうなると、今までどおりのスケジュールで生活していても、面白い時間の割合が増えたように感じることになる。

面白いという価値観をあまり重視していない人にとっては「それがどうした」というようなものだが、実は、「面白い」というのはかなり重要な価値である。我々は面白くないことをやっていると不機嫌になる。それは面白くないことをやるのがストレスだからだ。ストレスが続けば不健康にもなる。面白いことに価値があるというより、面白くないことは不健康なのだといった方がいいかもしれない。

面白くない時間を短く感じるためには、その面白くないことを面白くするしかない。面白くないことを面白くするには、その面白くないことに集中する必要がある。面白くないことにはあまり関わりたくないものだが、どんなことでも集中すれば面白さを見つけることはできるはずである。そうしないと、面白くない時間が続いて不健康になってしまう。とにかく、面白ければ時間は短く感じられる。

では、面白い時間を長く感じるためには、どうすればいいだろうか。面白い時間を長く感じるとしたら「ああ面白かった、でもまだこれだけしか時間が経っていないのか」となる。それはつまり、面白いことを早く終らせることができるということである。面白いことに深く集中して充分に堪能すれば、早く終らせることができる。普段、面白い時間が短く感じられるのは、その面白いことが他人から与えられたもので、自分が時間をコントロールできないからだ。積極的に関わって早く終らせることができれば、短い時間のわりに長く感じるのである。

面白いことを早く終らせると、時間が余る。その時間は自由に使えるのだから、やりたいことをやればいいのである。つまり、集中力を使えば、時間を伸ばしたり縮めたりすることによって自由な時間を生み出すこともできるのだ。しかし、考えてみると、集中力を使って時間を伸び縮みさせるためには、魔法にしてはややこしい努力が必要である。要するに、自分で自分をだましているだけなのである。

 → 「集中力とは何か」