受容って・・・

久しぶりの更新です。
私(父)が悠太・光太との係わり方で最近思ったことを書いてみます。

さて、悠太・光太は現在、4歳5ヶ月。
彼らからの意思の伝達は相変わらず.、クレーンや「まんまんまんまん」、「だっだー」といった喃語(?)にあらゆる気持ちを込める。あとは視線でのコンタクトや笑いかけ、スキンシップ、泣く・かんしゃく。
言葉の表現はもちろん、理解もまだまだで、太田ステージでいうところの無シンボル期の真っ只中。写真カードを使ってはいるものの理解しているか怪しいところ。もちろん、身辺自立も全然です。

とはいえ、体もずいぶん大きくなってきて、いろいろ出来るようになればいいなあ、と思うのが親心。加えて、私の中では「誤学習」、「強化」という言葉が気にかかっていました。これは、誤った行動を認めていると、その行動を強化することになり、大きくなってから修正するのが難しくなる、ということ。じゃあ、小さいうちからのしつけが大事なんだね、となります。

しかし、言葉の伝わらない悠太・光太。しつけは困難を極めます。たとえば「食事は椅子に座って食べます」。言葉は当然、伝わりません。絵で示しても理解できないでしょう。
手としては、椅子から離れたら座らせ直し、椅子に座ったときだけご飯をあげる。あるいは脱出不可能な椅子に座らせる。でも、当人はなぜ椅子に座らなければいけないか分かりません。気分を害して食事にならないかもしれません。親の方も椅子には座って欲しい、でも、食事もしっかりとって欲しい。ストレスになります。親のストレスは子供に伝わって(あるいは子供のストレスが親に伝わって)ますます食事どころではなくなってしまいます。
現時点の我が家では(私が食事を担当するときは)テーブル周辺であればO.K。椅子に座ったらほめる、優先的にご飯をあげる、といったとても緩いやり方をしています。今はマナーよりも偏食の多い悠太・光太に食事を楽しんでもらうことが重要と考えてのことです。
でも、「誤学習」という言葉を思い出すと、譲れないラインを厳しくしたほうがいいのかなと考えてしまいます。

そんななかで悠太のおんぶブーム。私は普段はできるだけおんぶする。でも、食事中はダメ。というルールをつくりました。それが先週の夕食騒動につながります。別に食事を中断しておんぶしても良かったのですが、一度ルールとしてしまった手前、譲ってはダメだろうと意地になってしまいまいた。

子供の成長とともに、私の中でどこまで受容すればいいかブレてきた時期なのでしょう。

そもそも受容という言葉に抵抗感があったのも事実。
受容は自閉症の原因が親の拒否や攻撃によるという誤解があった時代に、拒否や攻撃の裏返しとしてすすめられた療育方法で根拠が乏しく、時代遅れ、といったイメージがありました。
行動療法やTEACCHのすすめる構造化の方が説得力があるし効果があるような気がする。でも、認知発達の低い悠太・光太にはすぐには効果がでない。そういった焦りもあったと思います。

今週、一冊の本を買いました。「自閉症とことばの成り立ち」小林隆児著。
まだ読みかけですが、自閉症児の内面について興味深い考察がされています。
本の中では受容という言葉は使われていませんが、「甘える-甘えられる」関係をもつことの重要性と効果を理論的に説明されています。考えてみれば、子供を受容することは親としては当たり前のことですが、いろんな情報が溢れているなかで、根本的なことを説明してくれるのは嬉しいところです(活字で読んでやっと安心するのは情けないところでもありますが)。

また、この本の中で悠太・光太の状態を認めてくれるようで喜んだ内容がありました。
要約すると
「甘える-甘えられる」関係が確立し、安心感につつまれて世界との関わりをもっている子どもは、気持ちが伸び伸びとし、葛藤のない開放的な気持ちが声に反映してくる。このことがコニュニケーションの進展で非常に重要になる。

悠太・光太は意味不明な言葉でも実に気持ちを表現します。これは彼らが安定した精神状態である証しでもあるようです。

もう一つ、この本のなかで原始的知覚様態という自閉症児のもっている感覚が説明されています。ヘリコプターのおもちゃを手に持って空中に飛ばしながら、飛行機と自分が一体となった気持ちでいるような、主体と対象が強く一体化している感覚のこと(すいぶん大雑把に要約してます。まちがってたらごめんなさい)。
これを読んで思ったのは、悠太がおんぶを求めるのは自分と大人が一体化した感覚を楽しんでるのかもしれない。その土台には大人への信頼感や安心感、あるいは憧れ、願望があるかもしれない。もし、そうだったらちょっと嬉しいな・・・。

さて、結論。
まず、大事なのは悠太・光太と良い信頼関係を保つこと。
(今の関係を築いてくれた妻の感性に感服です。)
しつけに関しては、これからも子供の年齢が増えるにつれて焦りがでてくると思いますが、今までと同様、最低限のゆずれないラインを決めて、後は子供の能力に応じてすこしずつトライしていけばいいと思います。
相変わらずのゆるーい結論ですが、K学園の先生も「何事も始めるのが遅すぎるということはない」と言われていたそうですし、我が家に合ったペースでいきたいと思います。



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