中国の歴史(日本との関連において)
Brief history of China - in relation with Japan
殷
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周
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春秋戦国時代
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秦
始皇帝(位BC247−BC221)
天下を統一。
郡県制度をつくって中央集権制の基礎を固めた。
万里の長城修復。
前210年、始皇帝死。
戦乱。
項羽・劉邦の争い。劉邦の勝利。項羽自殺。漢となる。
高祖劉邦(位前202−前195)。
武帝(前159−前87、位前141−前87)。
領土を大幅に拡張。
光武帝(前6−後57)
後漢の初代皇帝(位25−57)。
日本福岡県志賀島でみつかった金印は、光武帝から贈られたものとされている。
後漢末期には天災もあり人民が窮乏。
黄巾の乱。
戦乱から三国時代に突入。
三国時代
魏・蜀・呉の鼎立。
魏は曹操。
蜀は劉備。
呉は孫権。
覇者は魏。
曹操が覇権。
魏志倭人伝に、邪馬台国・卑弥呼の記事がある。卑弥呼を親魏倭王と記している。
晋
初代皇帝は武帝(司馬炎)
4代で滅亡
魏晋南北朝。
南北朝を統一。
煬帝(位604−618)
煬帝は隋の第二代皇帝。
大運河を作った。
煬帝のころ、高句麗は嬰陽王の時代。
612年(嬰陽王23年)煬帝は113万人の兵を動員して高句麗遼東城を攻撃したが、失敗に終わった。
煬帝のころ、日本は聖徳太子の時代。日本書紀には、小野妹子が遣隋使として派遣され、煬帝にあったことが記録されている。
唐(618―907)
高祖李淵(位618−626)
太宗李世民(位626−649)
高宗(位649−683)
660年、高宗は新羅と結んで百済を滅ぼした。
百済残存勢力は日本斉明天皇に救援をもとめた。当時の実際の支配者は中大兄皇子(のちの天智天皇)。日本は、兵を百済へ送った。663年白村江の戦い。日本敗退。以後、中大兄皇子(天智天皇)は朝鮮半島への影響力を持つことを諦め、日本国内の防備強化に努めた。
高宗はその後、高句麗を攻めた。668年高句麗滅亡。
高句麗残存勢力の一部はマツカツ族と合流して渤海国を建国。
高宗は新羅を攻めるが、新羅は独立を保った。
日本天智天皇の晩年(671年)、唐は郭務宗を代表とする2000人の「使節」を対馬へ送った。使節というよりも軍勢というべきだろう。天智天皇没の直後、日本天武天皇は絹、ふとぎぬなど多量の品を賜ったと日本書紀は書いている。実際は、戦闘を回避するための貢ぎ物だったろう。唐の軍勢にとっては軍事圧力で得た戦利品に他ならない。唐郭務宗は戦利品をもって日本から引き上げた。
五代十国
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そう
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明
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中華民国
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Last update : 4/18/98
copyright Eiji Takeuchi, 1997,1998
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