MI-RI-KEN/comments
プライベートなコメント
ここではこのページの作者(所有者)であるしものの個人的なコメントを散発的に記述します
愚痴っぽい物もあるかも知れませんがあまり気にしないでください
mu7a-smn&atmark&asahi-net.or.jp
2001/09/09 shimono akiyoshi
2002.06.09 おくやみ
スティーブン・ジェイ・グールドが亡くなりました。
アイザック・アシモフと共に私が博物館に興味を持つきっかけとなった人です。正確に言えば進化論というもののアウトラインとその背景を知り、その後ダーウィンとダーウィニズム、周辺の文献を手当たり次第に読み漁るうちに情報の構造化、テキストのハイパーリンク化など能動的な情報利用のできる環境構築に興味を持つようになったきっかけを与えてくれた人物です。
自身は貝類を研究する古生物学者で、ナイルズ、エルドリッジとともに“断続平衡説”という先鋭的な進化論学説を発表し、生物の漸進的な進化を主張するダーウィニズムに一石を投じる傍ら、進化論に関する一般向けの解説書を多数著し科学の啓蒙に貢献しました。
グールドの文章の魅力は解説書らしくないその構成にあります。アメリカの短篇小説を読んでいるような、少年の頃のプロ野球観戦や駄菓子の値上げの思い出を導入に用いて繁雑になりがちな確率や統計の話題に読者を引き込みます。
その勢いで自らの心臓病を例にとり、羅看者の生存率に関する“平均”“モード”などの統計用語の読み取り方を考察するなど、読者をはらはらさせるようなユーモアも持ち合わせていました。
統計のプロセスは主題を伝えるための手段に過ぎないのだからと数値の使用を極力避け、そのために最初に分かり易い例で考え方を示し、なぜそうなるのかという道筋で読者が迷子にならないようにするという、簡単そうで実は大変な事をこなす才人でもありました。
理系で文章のうまい人というのは本当に頭のいい人なんだなあと感じます。そればかりか生き物に対する愛情もその文章に満ちていました。
御冥福をお祈りいたします。
【DATA】
スティーブン・ジェイ・グールド図書目録
ダーウィン以来 上―進化論への招待 早川書房
ダーウィン以来 下―進化論への招待 早川書房
個体発生と系統発生―進化の観念史と発生学の最前線 工作舎
パンダの親指〈上〉―進化論再考 早川書房
パンダの親指〈下〉―進化論再考 早川書房
ニワトリの歯―進化論の新地平〈上〉 早川書房
ニワトリの歯―進化論の新地平〈下〉 早川書房
人間の測りまちがい―差別の科学史 河出書房新社
フラミンゴの微笑〈上〉―進化論の現在 早川書房
フラミンゴの微笑〈下〉―進化論の現在 早川書房
時間の矢・時間の環―地質学的時間をめぐる神話と隠喩 工作舎
ワンダフル・ライフ―バージェス頁岩と生物進化の物語 早川書房
八匹の子豚―種の絶滅と進化をめぐる省察 (上) 早川書房
八匹の子豚―種の絶滅と進化をめぐる省察 (下) 早川書房
がんばれカミナリ竜〈上〉進化生物学と去りゆく生きものたち 早川書房
がんばれカミナリ竜〈下〉進化生物学と去りゆく生きものたち 早川書房
フルハウス 生命の全容―四割打者の絶滅と進化の逆説 早川書房
干し草のなかの恐竜―化石証拠と進化論の大展開〈上〉 早川書房
干し草のなかの恐竜―化石証拠と進化論の大展開〈下〉 早川書房
ダ・ヴィンチの二枚貝〈上〉―進化論と人文科学のはざまで 早川書房
ダ・ヴィンチの二枚貝〈下〉―進化論と人文科学のはざまで 早川書房
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2001.09.09 読めない図書館
上野の国際子ども図書館 に行ってきた。
上野のどこにあるんだろうと思いつつJR上野駅の公園口から通りを渡ると、文化会館の前の案内図にちゃんと書いてあった。東京国立博物館と東京芸大の間の道を入って行くのだ(今は使われていない京成線の“博物館動物園駅”を曲る)。
行ってみてはじめて知ったが、全面会館は来年で、今は3分の1だけが利用可能だった。
前から関心はあったのだが、なかなか来ることができなかった。いったいどんなところなのか?
“...「子どもの本は世界をつなぎ、未来を拓く」という信念に基づき、子どもの読書環境・情報提供環境の整備のためにいろいろな活動を行う予定”
“全国の児童図書館や学校図書館の活動を支援するとともに、子どもの出版文化にかかわる専門家に対して、資料や情報の要求に応える児童書のナショナルセンターとしての役割を果たすことです。これは子どもと本をつなぐ立場にある大人へのサービスという役割です。
もうひとつは子どもへのサービスです。ミュージアムや子ども室を設けて子どもが楽しめる図書館になることを目指しています。子どもが質の高い本と出会い、本に関心を向けて、読書を楽しむきっかけが得られるようなサービスを実施するという役割です。”
―入館時に渡されたリーフレット内「よく聞かれる質問」より―
東京の上野に1館しか無いのだから、“子どもへのサービス”というのは額面通りではなく、子ども図書館の理想型として参考にして欲しいのか、あるいはここを利用する子どもをサンプルとして子ども図書館の在り方を調査し、データを収集するのが目的なのだろうか? それが“子どもと本をつなぐ立場にある大人へのサービス”を意味するのだったら理解できるのだが。
3階のミュージアム(!)では「本にえがかれた動物展」が行われていた。この展示がまた、全くの大人向けの物だった。
真上を向いたガラスケースに平置きされた絵本とネームプレート。大人でさえ敬遠しそうな見せかたである。これが子ども図書館の理想型なのだろうか?
貴重な資料なのだから、照明を落すのも分かるし、ケースに入れて触れないようにするという理屈も理解はできるが、それではそこまでして展示する必要があるのだろうか?
この展示で“子どもが質の高い本と出会い、本に関心を向けて、読書を楽しむきっかけが得られる”だろうか?
質の高い本の表紙には出会えても、貴重な資料であるためにページをめくることすらできないのだ。図書館でありながら本を読めないという皮肉な空間がこの“ミュージアム”という名前の由来なのだろうか。
膨大なコレクションを背景にした“御開帳”をするのであれば、あえて“国際子ども図書館”である必要があるのだろうか。いっそ“子どもの本博物館”としたほうがしっくりくるのだが。
展示の内容は個人的には面白い物だった。思いがけず上野動物園の沿革にもふれることができた。東博(東京国立博物館)の分館としてスタートしていたのだった。
【DATA】
会 期 平成13年9月8日(土)〜12月22日(土)
会 場 国際子ども図書館3階ミュージアム
時 間 午前9時30分〜午後5時(9/30まで)
午前9時30分〜午後4時(10/1から)
入場料 無料
休館日 毎週月曜日、および祝日
問い合わせ先
〒110-0007 東京都台東区上野公園12−49
TEL 03-3827-2053
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2001.06.10 やってみる
ワタリウムで行なわれている「子どもたちの100の言葉展」に行ってきた。
冒頭に掲げられていた
"...子どもには
百のことばがある
(それからもっともっともっと)
けれど九十九は奪われる。
学校や文化が
頭とからだをバラバラにする。..."
というフレーズが、あるテレビ番組を思い出させた。
番組とは、携帯電話を製造している山陰の工場を舞台にしたドキュメンタリーだ。
在庫を抑え、生産効率を上げて海外生産との競争力をつけるために、敢えてベルトコンベアーを取り払い、流れ作業による分業を廃するという試みのレポートだった。
番組中では、試験的にラインを離れて、組み立てから検査、梱包を一人で担当した女性が、5日目にはラインでの一人あたりの生産量を抜いてしまった様子が映されていた。
誰もが信じられない事だが個人の体格や癖、段取りに特化した屋台のようなしつらえと、個人の裁量で制限なく採用される工夫が、それまで最善と思われていたシステムを効率の面で抜いてしまったのだ。
ナレーションは、効率を上げるために考案された分業と流れ作業が
「個人の能力を抑え込むシステムになっていた」
と語っていた。
近代化とはなんだったのか。
かつてアルビン=トフラーが言った"農業革命"、"産業革命"につづく"第三の波"とはこういう事だったのだろうか...と、考えさせられた。
実は話はこれだけではない。
第二陣として"屋台式"に加わった女性が、取材のカメラに振り返りながら"楽しい"と朗らかに答えるのを見たときに、ある単語が私の頭に浮かんだ
"ハンズオン"
そう、ようやくハンズオンという言葉の意味するものが明確に理解できた。
"やってみたらそれまでできないと思っていたことができた"、"それまでわからなかったことがわかった"...いわゆる"初心"である。
今まで言葉の意味や、展示物の例にばかり感心を奪われて、当事者の体験の意味をあまり考えて来なかった。
"ハンズオン展示"とは"初心展示"だったのだ。
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2001.02.24 子どもの本能
今日2つめの話題
「横断歩道を渡るとき、白い所しか踏んではいけない」
こんな課題を自分に課したことのあるひとはきっと沢山いることだろう。
どのような脈絡でこんな話をしたかは覚えていないが、重盛氏と話をしていて「あー、やったやった」と相槌を打ったことだけは覚えている。
子どもはどうしてこんな事を考えるのだろうか。
「白線を踏み外したら死んでしまう」
本気でそう考えていたのだろうか?
おそらく本気でそう考えていたのだ。
確かに似たようなシチュエーションで死に至るような事故は起こりうる。交通事故や転落事故は小さな子どもの身にも降り掛かってくる。
そういう状況をシミュレーションしているというように見ることもできるが、そういう訓練はつきつめれば反射や運動能力の問題であって、他の遊びでもよさそうな気がする。
むしろ不条理な課題を自分自身に課してしまうという点に引っかかるのだ(子どもにとって不条理でない課題などないのかもしれないが)。
失敗したら大変な事になるという局面は年齢を重ねるごとに増えてくる。肉体的なものばかりではなく、社会的な責任も付帯してくる。人間はそういうプレッシャーと闘わなければならなくなるのだ。「白線飛び」はそんな将来へ向けての安全な予行演習と言えないか。だから「白線を踏み外すと死んでしまう」と思い込む必要があるのだ。
間合いをとりながら横断歩道を渡っている子どもを見かけたら、それは死と隣合わせの緊張感に慣れるための精神的なトレーニングを無意識のうちに積んでいるのかもしれない。
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2001.02.24 子どもの図書館
石井桃子著「子どもの図書館」という本を最近引越した先の古本屋で買った。
石井桃子といえば「ノンちゃん雲に乗る」などで有名な児童文学作家だが、エンドユーザーである子どもがどういう状況で本を読んでいるかを探るために、なんとこの人は自宅を子ども図書館(かつら文庫)として開放してしまったのだ。
作家は、自分の考え、または良心にしたがって本を書きます。これはたいへんいいことのようですが、書き手がおとなで、読者が子どもである場合、子どもの心から遠いものを書いてしまうことが、しばしばおこります。また出版社も、子どもは、こういうものを要求しているとはっきり教えてもらえる場所をもたず、そういうことを考えるより、どういう本が売れるかということを聞きに、小売店にいく場合の方が多いでしょう。こうして小売店にならぶ本が、親や先生に買われて、家庭や学校の本棚にならびます。子どもは、それを読むかもしれないし、読まないかもしれません。学校図書館の時間に、図書室に一時間坐らせされ、一冊ずつ持たされれば、それに目はさらすでしょう。また感想文を書かなければならなければ、読まないわけにいきません。けれども、こんなにいくつもの屈折を経て子どもの手にとどく本が、子どもの心にすぽっととびこむ場合は、たいへん少ないのではないかと思います。
仕事熱心といえば熱心だが、作家といえども個人レベルで取り組まなければならないほど、利用者調査の必要性が一般(業界?)では認められておらず、研究もされていなかったということか?
この本が最初に出版されたのは1965年(文庫開設はその7年前)、今から40年ほど前であるが、現在の博物館をとりまく状況とオーバーラップする部分があったので、また引用してしまおう(岩波書店さん申し訳ない。販促だと思って見逃して欲しい)
慶応の図書館学科を終えたのち、アメリカの図書館学校を出、ニューヨークの公共図書館で働いてきた経歴のある間崎ルリ子さんを、研究会の相談役にたのんだのです。日本の公共図書館には、こうして、りっぱに技術を習得し、実務の経験のある人たちを、うけ入れる場所がなかったのです。
──中略──
私たちに、大きな希望をいだかせてくれたのは、間崎さんとおなじく、アメリカで、児童図書館員としての正規の訓練をうけ、アメリカでも優秀な活動をしていることで屈指の、ボルティモア市立公共図書館で働いてきた松岡享子さんが、昭和三十九年、ついに日本の公共図書館の児童室で働く機会を得られたことです。四年ほど前に帰国した間崎さんには閉ざされていた窓が、それから二年して帰国した松岡さんには――日本じゅうで、たった一つの窓ではありましたが――あけられたのです。
また、こんな箇所も
どんな境遇の子どもの手もとにも、本をとどけるための施設が、絶対たりないところへもってきて、そこに働く児童図書館員の身分は確立されていません。図書館内のほかの仕事をしながら、あわせて子どものめんどうを見ているか、また児童室専属の場合でもほとんどその仕事のための訓練をうけるチャンスをもっていません。つまり、いまの日本の児童図書館員は、県や市の社会教育課というようなところに勤める、公務員なのであって、たまたま、図書館にまわされてきたというにすぎない人が多いのです。これは、児童図書館員ばかりでなく、館長さんもそうで、二、三年、あまりはえない図書館という仕事にまわされてきては、ひんぴんと変わっていくというのが、実状のようです。
やはり携わる人の立場(待遇)が変わらなければ、意識だけでは解決できないのだろうか。
【DATA】
私が読んだ新書は絶版となったようであるが、新編が出ているようだ。
石井 桃子 著/松岡 享子 解説
4-6 320頁 本体価格(税別):\2,900
石井桃子集 5 新編 子どもの図書館
C-CODE 0393 1999年
ISBN 4-00-092205-X 岩波書店
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2001.01.30 子どもに必要なもの
日本の子どもの学力が低下しているという。
それは実感としてわかないが、普段町を歩いていて気になることはある。
親の言うことを聞かない子は電車の中では日常の風景となった。
小学校に上がる前から親を言い負かす子も現れている。
思うに今の子どもは学力が低下しているというよりも、脳の体力(脳力)が低下しているんじゃないだろうか。
子どもが学ぶべきもの、というと学校のカリキュラムに集約されてしまいそうだから、体験すべきものと言ったほうがいいかも知れない。
その体験をつくる場としてチルドレンズミュージアムというものが登場して(期待されて)きたのだろうが、身体感覚や、生活習慣というものと並行して体験しておくべきものがあるのではないだろうか。
幼年期のストレス
アンケート調査をした訳ではないから私の主観でしかないが、今子育てをしている人たちは、病院は恐い、注射は痛い、人拐いは恐い...そういう恐いもの、痛いもの、嫌な物を無理に隠していないだろうか。
言葉を換えれば恐いもの知らずの子どもたちを育ててはいないだろうか。たとえ親であっても人に注意される事を "自分への攻撃" としか理解できない子ども(〜20歳前後)が増えているような気がする(逆説的だが「親父にもぶたれたことないのに!」と憤ったアムロはまだ、人に殴られることの意味を理解していたといえる※1 )。
筋肉トレーニングが肉体的なストレスで成り立っているように、脳トレには脳へのストレスが必要なのだ。
何が足りないか。
学力は学校か塾に任せればいい。
生活(生存)のためのスキルはチルドレンズミュージアムがあるとして、問題は"社会参加のためのスキル"だ。
今の子どもに必要なのは "children's home(※2 )─子どものための家庭環境" あるいは "children's childhood─子どものための幼年期" なんじゃないだろうか。
子ども図書館の開館にからめて情報技術(IT)やメディアリテラシーについて書こうと思ったが、子どもの環境について考えをまとめているうちに方向がずれてしまった。
言い訳がましいけれど、ミュージアムに限らず、あらゆる物は社会のなかで成り立っているものなのだから、そのしくみ(現状)を考えることは必要だと思うのですよ。
脳的退化は起こっているとは言わないけれど、起こる可能性はかなり高いと思いますね。
(※1)「機動戦士ガンダム」が放映されたのは1970年代末である。主人公のアムロ・レイは当時の「新人類」の象徴として描かれ、かなりのオタク的駄々っ子ぶりで周囲を振り回しつつ、物語後半では「スターチャイルド」ならぬ宇宙時代の新人類「ニュータイプ」へと脳的進化を遂げるのだが、脚本家自身現在のような10代の出現を予測はできなかったようだ。年末から放映されていたローソンのCM「2001年普通の旅」というのがあったが、20年前からですら、宇宙開発の方が日常生活よりよっぽど予測できている。今の子どもたちの日常を誰が予測しただろう
(※2)チルドレンズ・ホームなんていうとなんだかタイガーマスクの「みなし子ハウス」みたいだが、満足な社会参加のための教育が受けられないという点で今の子どもは「脳的みなし子」とはいえないだろうか
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2000.12.13 値踏みのコスト
今日、博学では右に出るもののない知人のプランナー氏が嘆きともなんともつかない話をしてくれた。
氏の家のそばに最近“BOOK OFF”という古本屋ができたらしい。
知っている人も多いと思うが、“本”を“物”として売っているチェーン店である。
なぜ“物”なのかというと、商品の価値が「新しいか古いか」「きれいか汚れているか」によって決まるらしいからだ。
プランナー氏は「おかしいよね、他の古本屋なら物凄く高い値を付けるような本も古いからって100円で売ってんだよ。そのくせどうでもいい本が新しいから半値くらいにしかなってないんだ」と得した気分もあるから不満ともなんともつかない文句を言っている。違和感を感じていると言うのが本当の所だろうか。
氏の思いは置いておくとして、どんなにいい本を安く売っても店の方としては損はしていないはずだ。
なぜなら安く売っているのはもっと安く仕入れた本だから損のしようがないのだ。
「これはもっと高く売れるかな?」という欲を出したがために、高い値付けをして売れ残ってしまうというリスクを排除し、確実な利益を上げているのだ。
つまり“値踏みをする”というコストを排除することによって効率をあげるという新しいビジネスモデルということができる。
違和感をもった先のプランナー氏がその生涯をかけて築いてきた知識を、“邪魔なコスト”としてカットしたのだ。これが安くならないはずがない。
氏が得をしたと思っている分のコストを実は生涯かけて先払いしてきたのだということは、可哀想でちょっと言えない(これ見てないよね)。
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2000.10.09 メディア・リテラシー
昨年あたりから青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/main.html) に芥川龍之介の作品が掲載されるようになった。
著者の没後50年以上が経過したということだ。
その芥川の作品「薮の中」などを下敷に黒澤明が映画化した「羅生門」がヴェネツィア国際映画祭でグランプリを受賞したのは1951年である。
菅谷明子著「メディア・リテラシー」岩波新書という本が出ていた。
ここでいう"メディア"とは最近流行のIT関連株ではなく、意味的には従来の"マスメディア"を指す。
「映画やニュース、CMに隠された("込められた"ではない)メッセージを読み解くためにはその制作課程を理解させる必要がある」という英米およびカナダの教育事情をレポートしたものだ。
面白いのは、各国とも"メディア"の授業が"国語(英語)"の時間に組み込まれていて、まさに"メディアリテラシー"とは"読み書き"に次ぐ基本的な能力であるという思想が読み取れる。
それでも伝統的ではないカリキュラムの予算は、何かにつけ削減される危機にみまわれる。
そんな時に担ぎ出されるのは"国益"だ。
アメリカからの電波に晒され、アメリカ人としての歴史観を持ってしまいがちなカナダの子どもに情報源の違いを理解できる力をつける等、メディアリテラシーは国のアイデンティティーに関わる問題として訴えられている。
翻って、日本の学校教育で公共のメディアを批判的な視点で観察するという姿勢を身に着けさせる事ができるだろうか。
「アカデミズム <-> ジャーナリズム」チャートというものがあったとしたら博物館は「ジャーナリズム」寄りだろうと常々私は感じている。
ニッチとしての博物館には「批判的な視点」を育てられる可能性があると思う。
送られた情報だけではなく、送るという行為にもメッセージは隠されている。そういうことを研究する対象としても地域の博物館は身近な例として活用できるのではないだろうか。
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2000.08.29 贅沢な悩み
私は行列が嫌いだ。
美術品が作者の意図に沿わないかたちで公開されることは良くないことらしい。
あるいはパーソナルなインターフェースであるからこそ体験できるアートなのかも知れない。
初台にあるICC(NTTインターコミュニケーション・センター) には、いつ行っても見られない作品がある。
まだ見ていないのでどんな作品かはわからない。
これは私にこらえ性がないせいなのだが、一度に3人しか入室できないと言われると無性に見たく“なく”なるのだ。世に言う天邪鬼である。
理由はまだある。
一方ではわざわざそんな所に出かけていながら、もう情報は沢山だという気持ちもある。
以前にも書いたが、ミュージアムに行って新しい(珍しい)物を見ると言うだけの時代は終った。いつか見たなつかしい物を眺めながら(あるいは二次的な情報しか与えられていなかった物の実物を見ながら)、ゆっくり考えを巡らせるという利用法もあるのではないだろうか。
寺田寅彦は二次情報の再確認の為だけの旅を非難していたが、情報過多の今となっては再確認をするだけでも大変な労力を必要とする。現在のようなリンク社会にでは、今目にしているものが二次、三次などという生易しい引用の階層レベルではないかもしれないのだ。
と、メディアアートを見ていればそんな事にも想像は及ぶ訳で、時間の使い方をあれこれ指示されたくはないのだ。
待ち時間が有効に使えるかというとそうでもない。ちょうどいいところで「はい、早く入って下さい」と急かされるのではないかと落ち着かない。
経済的な事情や社会制度の中で自由に物を見ることができなかった時代の人には申し訳ない程贅沢だが、ミュージアムは何よりもじっくり考えさせてくれるところであって欲しい。
それとも、全く新しい物には理解を示せない体質に変わって来たのだろうか(いわゆる○○力がついてきた?)
パトラッシュ、僕なんだか眠くなってきたよ...
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2000.06.30 博物館というブランド
ご無沙汰しております。
重盛氏にたのまれて上野の科博(国立科学博物館)にミュージアムグッズを買いに行った。
ハンズ・オン!2000ミーティングで、重盛氏が担当するセッションの発表者にお礼として配るらしい。当日は朝から現地に入るので代りに行ってくれという(先週のうちに言っといて欲しい)。
セッションの内容をよく把握していないので、予算と数量だけ聞いて買い出しに向かった。
買いものだけが目的なので、いきなり地下に入る。そのような使い方は建設当初は予想していなかっただろうから、出口から逆に入っている気分になるのは否めない。
ふだんは特別展の帰りにあてもなく回るだけだから特に気にならなかったが、500円以下で揃えようとすると結構選択子が少ないということに気付いた。重盛氏が「何百円か」と言ったので勝手に500円以下と決め込んで回ってみたが、その予算で買えるものは非常に少なかった。
ものが無いわけではない。定規やキーホルダー程度なら何種類もあるのだが、ことハンズオンに関するグッズを探そうとすると、ちょっとおもしろそうなものは1000円前後を覚悟しなければならない。
結局選んだのは、鉱物標本と多面体にカットしてトンボの複眼のように見えるスコープ、組み立て式の紙製分光器、それと宇宙食だった(オーバーしているものもある)。
それのどこがハンズオンなんだ、と言われれば返す言葉もないが、ロゴ入りの文房具ではちょっと違うような気がしたのだ。
同じロゴ入りグッズでも、これが海外の(例えばボストン子どもの博物館の)ミュージアムグッズだとそれなりに嬉しいのはなぜだろうか。
希少だからか、デザインの違いだろうか、それとも博物館自体のブランド力なのだろうか。
「科博で...」といった重盛氏に聞いてみようか。
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2000.03.27 博物館という日常
3月22日に早稲田大学で文部省主催の「親しむ博物館シンポジウム」があった。
基調講演は濱田隆士氏(神奈川県立生命の星・地球博物館館長)で、タイトルは「ハンズ・オン学習とエデュテインメント(楽修)」。
以下印象に残った言葉
――“ハンズ・オン”という言葉が世間を賑わせているが、歴史的に見ればハンズ・オンという手法こそがむしろ学習の本筋であって、知的伝授の形態としては言葉を使う“学校”の方が後発である。
インフォーマル・エデュケーション(生涯学習)の方がフォーマル・エデュケーション(学校教育)よりも先にあった。
学校教育では、時間に制限があるので、流通する情報量が増加すると切り捨てなければならないものも増えてくる。
いままでは常識だと考えられていたことも、子どもには絶対的にその経験・知識が不足している。
たとえば漁港の町に育ちながら、生きた魚を触ったことのない子どもなど――
博物館はインフォーマル・エデュケーションの場として期待されているという。
そのためにも親しまれる必要があるということらしい。
今までは地域に関する情報を補足することで住民としてのアイデンティティーの形成うんぬんとか考えればよかったのだが、この分では博物館の扱う情報量はどんどん増えていくらしい。
いつの間にか珍しいお宝を見にいく時代は終わり、当たり前のものを見に(体験しに)博物館にいくようになっていたのだ。
当たり前のものを体験しに敢て博物館に行かなければならないほど、世の中が(経験不足という意味で)子ども化してきたのだろうか。
いや、リアルがものすごいスピードでつっ走っているから、落ち着いて物を見られるのは博物館の中だけだということなのかもしれない。つまり昨今流行語となった「癒し」や「なごみ」に繋がる一種の「懐しさ」が体験できるという意味ではなく、物を考える“時間”が必要なのだということである。
そういった意味で「博物館行き」という言葉も悪くないかも知れない。あらゆるものがものすごいスピードで博物館に収まってしまう時代なのだ。
枠のある学校から枠のない博物館へ、という流れは既存のメディアとネットワークの関係に似ていなくもない。
ただネットワークに繋がるにはそれなりのハードルがあり、年齢層や技能によって受け取る情報に階層が起こる危険性もある。
その点博物館はそこにある。作るのも、運営するのも大変だろうけどね。
子どもの経験の場を示す円グラフの中に5%くらいの“学校”という項目があって、残りの95%が“その他(博物館)”って感じだろうか。
それじゃあ子どもにとっての“家庭”って今は何をしているんだろう。
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2000.02.14 好きなんだけど
久しぶりに北区飛鳥山博物館に行ってきた。
企画展でやっている「カメラとプロジェクター」を見るためだ。
一クラッシックカメラファンとして見るにはとても面白いものだった。
個々の資料(この場合はカメラ)に付いている解説の視点や言いまわしが博物館っぽくなくて、カメラ好きのこだわりを感じさせる。
おそらく館の人が書いたのではなく、コレクションの持ち主が書いたのだろう(或いは持ち主との綿密な打合せに基づいて書かれたか)。
何年か前に横浜市で行なわれたクラッシックカメラのコレクション展示では、あまりにもあっさりとした資料解説に驚いた事があったが、今回はそういった意味で玄人向けの感じがした(一見さんにはわかりにくいという点では博物館展示の敷居の高さを踏襲しているとも言える。横浜の場合は夏休み中の公開ということもあって、実際に動かせる原理模型を置く等、子供にターゲットを絞っていた)。
さて、個人的には大変満足のいく企画ではあったが、これを地域の博物館でやる意味とはなんだろうか?
まとまったコレクションが手に入ったから?
区立の博物館なのだから、写真資料なんかは沢山あると思うが、そういう物との組み合わせ等は考慮されなかったのだろうか。
以前、都内の他の区立博物館と合同で行なった企画展「路面電車(トラム)と地下鉄(メトロ)」では、都電の背景に写る地元の風景が目でみる郷土史となっていた。
製造された年代や機構方式ごとに分類されてはいたが、それではカメラ工業発展史である。それはそれで好きなんだけど。
この館は一昨年の開館以来、小さな企画展を切れ目なく続けてきている。その努力には頭が下がる。その柱の一つとしてひょっとして今後は地域に縛られないある種オタク的なシリーズを期待していいのだろうか。
考えてみればここの常設展示でも扱われている中世以前の歴史にしたところで23区で分かち合うほどローカルなテーマでは無いはず。首都圏の一博物館として穴場的な路線を歩むのだろうか…まさかね。
【DATA】
会 期 平成12年1月19日(水)〜3月5日(日)
会 場 北区飛鳥山博物館2階特別展示室
時 間 午前9時30分〜午後5時
入場料 無料
休館日 毎週月曜日、2月15日(火)
問い合わせ先 北区飛鳥山博物館
〒114-0002 東京都北区王子1−1−3(飛鳥山公園内)
TEL 03-3916-1133 FAX 03-3916-5900
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2000.01.16東京都写真美術館に新館長?
石原慎太郎東京都知事は東京都写真美術館 の館長に4月から徳間書店社長徳間康快氏を起用する事を明らかにしました。
就任当初から知事が、「東京に必要な施設だが経営感覚がない」などと発言していた。その回答らしいです。
(これは“asahi.com”の記事によります。直接リンクを張ると怒られるのでアドレスだけ書いときます(http://www.asahi.com/0114/news/personnel14009.html)トップページにしかリンク貼っちゃいけないって言っても、いつまでトップに見出しが載ってるかわからないじゃん!)
確かにジブリと組んで世界的な興業成績のアニメを輩出してはいますけどね。去年は...。
1995年の正式開館以前のひっそりとやってるときの方が記憶にあります。その時は受付が住民のボランティアだったような気がしますが。
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2000.01.09 1/3眼レフ
最近ここのほかに写真関係のホームページを立ち上げた。
これから撮る写真やこれまでに撮りためた写真を公開するという非常に独りよがりなページである(にもかかわらず、応援のメールを何通かいただいている。ありがたい)。
別に宣伝ではない。
ふだん会ってる人はご存じかと思うが、私はカメラといえば自分でピントを合わせるタイプが好きだ。
同様にデジカメよりもフィルムカメラの方に愛着を覚える。
だから机の上には大枚はたいて買った35mm用のフィルムスキャナがある(アメリカツアーの写真の取り込みでは大活躍した...ってまだ終わってないよ)。
いざホームページを立ち上げようとしたときに、それまでにスキャンしてあった画像は当然簡単にアップできたが、まだフィルムの状態のものは忙しいせいもあって放置されている。
おかげで今掲載されている写真はほとんどデジカメで撮ったものである。
写真に詳しくない方のために断っておくと、フィルムにもいくつか種類がある。
形や大きさ、感度等は程度のちがいであるが、概念として“ネガフィルム”と“ポジフィルム”の2つに大別される。
“ネガフィルム”は通常のサービスプリントに使われている物で、日常生活でフィルムといえばこれである。“写ルンです”の中にもこれが入っている。
現像後の見かけは実際の写真とは色や明るさが逆になっていて、何も写っていない透明な部分にも茶色がかった色が付いている。
撮影の際に光が当たったところが化学反応を起こして濃い色が付くので、実際の景色とは逆の色調・明るさになるのである。
写真にするときには、このネガフィルムに光を通して印画紙に像を焼き付けるのでまた同じ現象が起こり、写真はもとの景色と同じ色調になる。
“逆(ネガティブ)”になるから“ネガフィルム”というのであろう。
これに対して“ポジフィルム”は名前からわかるとおり“ネガ”の逆である。撮影・現像しても画像は景色と同じ色調で定着される。
この性質を活用しているのがスライド上映である。“ポジフィルム”の類義の呼称として“スライド”でも十分通用する場面はある。“リバーサルフィルム”なら100%同義語である。“ネガ(逆)”の“逆(リバース)”だから“リバーサル”なのだろうか。
これら2種類のフィルムの用途であるが、“ネガフィルム”は印画紙プリントに、“ポジフィルム”はスライド、記録保存、印刷原稿にと使い分けられている。
先にも書いたように、普通“ネガフィルム”には被写体とは関係なく全体にフィルム自体の色が付いている。
実際の景色にはない色が付いているわけだから正確な色の記録には適さない。なぜわざわざそんなことをするかというと、後々の作業の余地を残しているのだ。
“ネガフィルム”はまだ最終成果ではない。印画紙に焼き付けられてはじめて我々が普通の景色として認識できる画像になる。
フィルムの感光というのは化学変化であるから、人間の意図どおりにはならないことがある。
太陽光の下と白熱灯の下、蛍光灯の下では同じものを写しても実際には違った色に記録される。
それらの意図通りにはならなかった部分を印画紙に焼き付ける段階で補正するのだ。
“ポジフィルム”ではそうはいかない。スライドとしてフィルム自体を鑑賞することもあるのだから余分な色が付いていてはいけない。
また記録用に用いられるのもそのままの色を残せるからだ。撮影環境に応じて“デーライト(太陽光)用”“タングステン(白熱灯)用”と別々のフィルムが用意されている(残念ながら“蛍光灯用”というものはないので、撮影時にフィルタで補正するしかない)。
話が長くなったが、何が言いたいかというと、“ネガフィルム”にも“ポジフィルム”にもそれぞれ良い点があるので博物館などで資料を撮影する場合にはどちらかだけで済ませる訳には行かず、結局両方で撮る必要があるということなのだ。
さらにこれからのネット環境やデジタルアーカイブのこと等を考えるとデジタルデータでも残しておきたい。絵画資料であれば通常の可視光域だけではなく、赤外線域でのデータも残しておけば平面的なデータだけではなく、画材や制作過程の手がかりも記録できるようになる。
そういう様々なメディアへの記録が一度の撮影で出来たら、という欲求が今後出てくるだろう(デジカメなのに撮影したデータをその場でインスタントフィルムに焼き付けて取り出せる“プリンカム”なる商品も登場した)。
タイトルの“1/3眼レフ《さんぶんのいちがんれふ》”というのは1つのレンズで“ネガフィルム”、“ポジフィルム”、“デジタルデータ”という3つのメディアに記録できるカメラが欲しいという意味である。
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2000.01.08 お座敷入門
「さゆり 上・下(アーサー・ゴールデン、小川高義訳、文藝春秋)」を読んだ。
情ないことに、これを読むまで“芸者”というシステムをよくわかっていなかった。
アメリカに渡った祇園の芸者がアメリカの日本研究者に回想しながら口述するという形をとっている。
物語は芸者版どてらいヤツのような成り上がりストーリーなのだが、このスタイルが京都の花柳界の神秘的な閉鎖性をうまい具合に解きほぐしてくれている。
たとえ引退したとはいえ、祇園の芸者がお座敷や置屋の内幕を第三者に口外するとは考えにくいが、日本人だったら恥ずかしくて聞けないような事も、アメリカ人相手だから言葉を選んで丁寧に教えてくれる。
やはり知らなくて当然の人が間に立つといろんな事が聞きやすくなるようだ(ミルちゃん、キクちゃんもその典型。古い?)。
アメリカでも売れたようだから、“ゲイシャ”観(日本人観)も多少は変わるかもね(水揚げと旦那の違い知ってた?)。
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1999.12.27 映像の世紀に生まれて
いま、NHK第一で「映像の世紀」の再放送をしている。
気がつくのが遅くて、5回くらい見逃したが、3年ほど前も総集編も見ているので、いくつか印象深い場面は覚えている。
たとえばガンジーが戦前にイギリス本土をおとずれ、インドの自治独立を求めた事、同じようにホー・チミンがフランスに渡った事など、ちゃんと映像として残っているのに驚いた。
そんなの世界史の授業で見せてくれたらどんなに理解しやすかったか。
反論はあるかも知れない。基礎的な知識があるから映像によって記憶が補強されるのだと。
確かにそういう事もあるだろう。ただ、自慢ではないが高校の世界史では2割程度の点しか取れなかった人間に基礎的な知識があるといえるのだろうか。ましてや現代史などかけ足で教科書をめくった記憶しかない。
だから現代史のほとんどの知識は本や漫画、映画によって身につけられている。
つまり私に限って言うならば、歴史は学校の授業以外で学んだ事のほうが多い。
定年で辞めてしまわれたが、職場の上司で年頭の挨拶でいつも干支に因んだ話をされる人がいた。この前の申年には60年ずつ遡って西南戦争あたりから流れるように説明してもらったことを思い出す。
最後の壬申の乱までの間は忘れてしまったが、そんなものは後で年表を見ればいいのだ。大事なのは「そんな見かたもあるのか」と気付かせ、興味を持たせる事なのだと思う。
仕事での接点はあまり無かったが、こんな人が歴史の先生だったらと今更ながら思い出した。
話をもとにもどすと、近現代史には他にはない映像という強力なツールがあるにもかかわらず、教育の現場ではほとんど活かされていないのではないだろうか。
今後、小中学校で行われるコンピュータ教育がどんなものかは分らないが、教える側にツールを選び、使いこなす能力(若しくはセンスあるいは思想)が発達しないことには、今までと同じか、手間が掛かる分今までよりも更にひどいことになるのではないだろうか。
年表のように後で参照すればいいものを、調べさせたり暗記させたりということはなくなるのだろうか。
フルカラーの米軍側資料と、中間調の飛んだ北ベトナム側の白黒映像を見くらべつつ、勝者を知るものの複雑な心境で駄文など。
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1999.12.17 教室の中の2000年問題
私が小学生の頃にはまだ、缶詰の賞味期限は缶の底に刻印で示されていた。
“日”のデータまであったかどうかは記憶にないが、“年”は西暦の下1ケタ、“月”も10月以降をアルファベット1文字に置き換えて表示してあった。
家庭科の授業だったか、その読みとりかたを習ったときのこと、
「そんなやりかただと10年前の缶詰と区別がつかなくなる」
と子供の頃から理屈っぽかった私は先生に文句を言った。
先生は一瞬きょとんとしていたが、他の生徒(児童?)がすぐに私に同調してくれた。確かに判らなくなる、と。
そこで先生はみんなに質問した。
「だれか10年前の缶詰を見たことある人?」
手を上げた子供が二、三人。私は手を上げなかった。
手を上げなかった子供の中には
「10年前の缶詰なんてあるわけがない」
と主張する子もいた。
「10年前だよ、去年のじゃないよ」と突っ込まれて、
「あ、そうか」
とあわてて手を下ろすいかにも小学生らしいボケを見せてくれた子もいた。
そんなことで、私のクラスでは10年以上前から存在する缶詰は(無視できる位しか)ない。ということになった。
まあ、相手は物理的に存在する缶詰なんだから、見りゃ判るというのが「常識」なんだろうね。
コンピュータのソフトを作る上でも、「常識」が理屈の目を曇らせる時代が暫くは続いたのだろう。
「こんなシステムは世紀末にはもう使ってないだろう」とか。
それから四半世紀経って、世の中は物理的に存在しないものに随分依存するようになってしまった。
常識も多少は理屈っぽくなる必要が出てきたのではないだろうか。
【蛇足】
インターネット上で検索あるいはリンクをたどっていて、思いがけず興味のあるイベントの告知に出くわすことがある。2〜3週間先なので、カレンダーで確認すると曜日がどこか変だということに気づく。今年の予定ではなかったのだ。しかも予定ですらなかった。
見た目で物理的な劣化をしない情報には、せめて2桁でも「年」のデータも入れとかなきゃね。
【蛇足の蛇足】
ファイルの修正日を判断して、古いデータを表示するときには黄ばんだり、端が破れてくるようなブラウザって出来ないだろうか。いや、そうすると、真っ先にこのページが...
【さらに遠い目の蛇足】
この話に登場する先生は私が生涯を通じて最も敬愛する先生でもある。
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1999.11.13 「誤解を恐れずに言う」
少し前から「状況に埋め込まれた学習」という本を読んでいる。
しかし、まったく頭に入らない。
どうして「状況に埋め込まれた学習」は読みにくいのか。
そもそも文章が読みにくいとはどういう事か。
1)読者が言語に不慣れ
1─2)漢字が多い
2)内容が難しい
2─2)論理矛盾している
3)悪文である
以上のような原因が考えられるが、1は読者の能力不足、2は著者と読者の認識のズレ、3は著者の技術不足と分類できる。
しかし悪文を作る原因を一方的に著者の技術不足と決めつけるのもかわいそうな気がする。
悪文が著者以外の要因で生まれることはないのだろうか。
たとえば本を書く事と、手紙を書く事の違いについて考えてみる。
手紙は相手が特定されているので、共有している知識を特定しやすい。
ところが、本は読者を特定できない。ある程度ターゲットを絞って書いたとしても、それは書く側の都合であって、書店で手に取る客を選ぶ事はできない。
だから書き手は共有されていないかも知れない知識を文中で補おうとする。
例えばこんなふうに──
ジーン・レイウ゛(「実践における認知−日常生活における心、数学、そして文化(Cognition in Practice:Mind, Mathematics, and Culture in Everyday Life)」の著者であり、カリフォルニア大学バークレー校での教育学の教授)とエティエンヌ・ウェンガー(パロ・アルトの学習研究所の研究員。「知的CAIシステム(Artificial Intelligence and Tutoring Systems : Computational and Cognitive Approaches to the Communication of Knowledge)」岡本・溝口監訳、オーム社、の著者))の著による「状況に埋め込まれた学習」は同僚であるところの重盛氏、あるいは大多数の参加者によれば、3回読んでもその言わんとしているところが直接的には掴みにくく、(人によっては)訳のせいではないかと思わず原書を取り寄せてしまったほどだとという。つまり学生時代から古文書/専門書に慣れ親しんでいる彼/彼女をして、難解と言わしめる書籍と向きあってはたしてこれがレイブ/ウェンガーの言うところの“正統的周辺参加”だろうかといぶかしむ。つまり(彼等の例に習うならば)肉屋の従業員が肉の捌き方を体験として学ぼうと既に包丁(もしあなたが仕立て屋だとするならばミシン)を手に取っているにもかかわらず、包丁の砥ぎ方の講義が始まり、それが終ったかと思うと今度は世界の肉料理の紹介を延々聞かされるのに等しい体験だと言えるのである。
──結局読み手を特定できないために言い訳がましい注釈がこれでもかと入ってくるのだ。
つまり著者と読者の認識のズレを埋めようとして著者は努力したが、技術不足のために悪文になってしまったのである。
“誤解を恐れずに言えば”悪文に見える要因の一つは、読者との共通認識の確認に手間取っていることにある。
この「誤解を恐れずに言」うことが文章を読みやすくするのだ。
ただし当然の事ながら「誤解を恐れずに言」った場合に誤解される可能性は覚悟しなければならない。
著者にそれなりの自信がなければできないことなのだ。
徒弟制を例に取れば、親方は決して誤解を恐れたりはしない。
徒弟が見ている環境そのものが、親方と徒弟の共通認識の全てだと信じているからである。認識にズレがあったとしたらそれは徒弟が未熟なせいなのだ。
正統的周辺参加とはこういうことなのだろうか。
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1999.10.31 平米単価のカラクリ
ある勉強会の後で、行政の先例重視という事が話題になった。
その話しがきっかけで、1年ほど前に職場であった会話を思い出した。
ちなみに職場とは博物館等の文化施設のプランニングや展示製作をする会社である。
営業のT氏が私の上司のI氏に言った。
「計算してみたんですけど、だいたいうちの実績館の展示工事の平米単価は似てますね」
「えっ、そうなのかな。作り方の違うものもあるのに」
とI氏、
私が
「それは行政が先例を重んじるからですよ。規模が決まるとそれに応じた予算をつけるから」
つまり内容によって局所的な費用の較差はあっても、疎密をつけてその中でやりくりしてしまうから全体の平米単価は変わらない。
からくりというと大袈裟だが、平米単価の信憑性はこうして日々加速しながら確立していくのではないか。
予算が決まらなければプランニングもできないから、内容も決らない。そんな中で内容に見当った予算をつけろというのも無理な話だから、何か事を起そうとしたらまづ「先例」となってしまうんだろうね。
でも、こういうのは「経験値」というのとも違うし、単なる同語反復のような気がして気持悪いなぁ。
つきつめれば、「平米単価」という中で有意な数字となりうるのは最初の1件だけということだものね。
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1999.10.05 チルドレンズミュージアムって
最近のチルドレンズミュージアム(CM)研の掲示板 を見ていて思ったんだけど、チルドレンズミュージアムって何かの代用として生まれて来たんだろうか。
チルドレンズミュージアムが博物館だったとして、博物館とは何かに代わる物なのだろうか。
博物館という物がこの世に生まれて以来、何かの代わりとして求められた(つまり需要の方が強く、仕立てざるを得なかった代用物だった)事はなかったんじゃないだろうか。
でなければ、「博物館行き」などという言いまわしも生れて来なかったに違いない(これって日本語だけ?)。
もし、今という時代が、チルドレンズミュージアムという範疇であっても、ミュージアムという形態を求めているのであれば、博物館的思想は社会の欲求に先んじて生れていたことになる。
しかしそれは神秘主義的な解釈で、なにも我々のDNAに博物館を欲求するコドンが埋め込まれているわけではない。
博物館に対する要求が変わったのではなく、新たに生れた需要に対する回答を捜しているうちに辿りついたのが、たまたま博物館だったのではないだろうか。
学校でもない、保育所でもない。遊園地のような非日常の世界でもない。教育的機能を持ちながら、自由であるもの。そういう条件に叶った概念として博物館が使われているのではないだろうか。
そう考えると、別に「チルドレンズライブラリー」でも良いわけだし、「チルドレンズユニバーシティー」でも良いのだろう(「ワールド・ワイド・チルドレンズ・ウェブ」でもいい。ただし、上にあげた「チルドレンズ〜」候補たちは、ある程度のリテラシーを必要とするので今のところ現れてはいないようである)。
勿論、新しい欲求に合せる形で要素の取捨選択は行われるだろう。その取捨選択されたものが、「チルドレンズミュージアムは博物館か?」という疑問(違和感)となっていつも私につきまとっているのだと思う。
これでチルドレンズミュージアムについての自分なりの整理はついたと思うが、皆さんはどう思うだろうか。
それから、時代に選ばれなかった方の要素はこれからどうなっていくのだろうか。ミ利研会員としてはそちらの方が気がかりではある。
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1999.09.30 300アクセスの影で
浅井さんの“asai museum” やCM研の「子ども博物館楽校」 でリンクを張って頂いたためか、このところアクセスの増えかたが加速している。
ところが相反するように、来ていただいた方には申し訳ないが情報の更新の方は最近停滞している。
本業がちょっと忙しくなってきたのと、趣味の方にも時間を裂こうと考えはじめたためだ。
趣味とは写真のこと。昔撮ったものから最近のものまで、整理をはじめた。
知る人ぞ知る(?)このHPの初期のタイトル写真 は、私が学生時代に撮った物(ミュージアムと関係ないんですぐ替えちゃったけど)。
そのうちミ利研のホームページの隣に自己満足なサイトがオープンすると思うのでよろしく。
CM研の掲示板で博物館内での写真撮影の制約の話題があったので、写真と博物館について一言だけ。
近代以降の歴史資料として写真の果たす役割は計り知れないと思う。
「記録」という概念が生れてこのかた、記録者の意図しない情報をこれほど伝えたメディアはないのではないか。
極論すれば文書は書くにも読むにも素養がいるが、写真には隠そうとしても隠せないという制約がある。それくらいに違う。
(写真を過大評価するつもりはない。「FRONT」という雑誌をご存じだろうか。それから近年のフォトレタッチ技術の向上。それからこんな物 )
博物館の写真と博物館の関係で言えば、東京北区の飛鳥山にある渋沢史料館 では、自身(財団)の歴史を伝えるコーナーの最後を、移転する前の旧展示室の写真で締めくくっている。
写真を資料として読み解く技術や文法がもっと進歩しないものかとたまにもどかしく思うことがある。
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1999.09.21 産業革命以前への回帰?
9月14日に大妻女子大で開かれた第19回Children's Museum研究会 に参加した。
参加しておいて何だが、今一つチルドレンズミュージアムという物がわからない。
わからないから研究しているのかも知れないが、
はたしてそれはミュージアムなのか?
研究会ではアメリカのチルドレンズミュージアム視察の報告がメインだったが、主催の小笠原先生が教育学を教えておられることもあって、しばしば学校教育へ話題は逸れた。
そもそもアメリカでチルドレンズミュージアムという物が生まれたのも学校教育(公教育)では不足だったから、と理解した。
セサミストリートのようなヘッドスタートプログラムが行なわれたのも、就学前の学力レベルを揃えないと小学校に入った時点で既に差が付いて、平等な教育を施すには手遅れになっていたからで、公教育の限界という物が(公に)認識されていたからだろう。
ここで日米の「公」の通念の違いも斟酌しなくてはいけないのだろうが、翻って日本の状況をみるとこれはもっと複雑なことになっている。
さすがに貧困のために義務教育についていけないという事例はないだろうが、大都市圏においては公立学校は私立の学校に較べ劣勢にあり(ここら辺までが公教育か)、それらを覆うように塾が教育の最先端を行っている感じである。学校に行かない子供もいる。地方はというと、私学が少ないせいもあって、未だ公立学校が教育の本流を堅持しているようだ。しかしここでも塾はかなりの児童を学校と共有していると見た。学校に行かない子供をフォローする施設はあるのだろうか(田舎者の私は自慢ではないが大学まで公立に通っていた。塾には行ったことがあるが)。
ここで思うのはチルドレンズミュージアムが対象としているのは一体誰で、ねらいは何なのかということ。子供と言ったって0才児から小学6年ってかなり幅がありますよ。
私はとてもリクツにこだわる性格なので、これこれこういう理由でこれがいる、とはっきり分からなければ気持ちが悪いのだ。
アメリカが教育に本腰を入れたのは「スプートニク・ショック」からだろうが、日本でもひっそりと教育の梃入れが進んでいる。
「理科離れ」を憂慮して、全国に科学教育のための施設が多数計画されているらしい。
でも実際に起っているのは「理科離れ」ではなく「公立学校離れ」ではないのか。
子供たちが教育を受ける権利を奪われるような事さえなければ、それも悪いことだとは思わないが、学校制度に変わる物がない今、学校以外の活動を保証する制度づくりの方が必要である気がする。現状はダブルスタンダードどころではないのだから。
アメリカの事例報告で感じたのは学校も"one of them"であるということ。結局子供を教育し育てるのは親の責任だという自負がある。
ミ利研のメンバーも多少ダブっているようなので、ここでコメントというかぼそっと言ってみた。
CM研の皆様、このコメントで事実誤認等ありましたらお知らせください。素人が勝手なこと言ってすいません。
それから小笠原先生、もし金沢で会うことがあったら金城楼で御馳走してください。
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1999.09.09 200アクセスを越えて
このサイトを立ち上げて2ヶ月弱になる。
きっかけは新規会員勧誘のための積極的な広報と、遠隔地の会員への広報活動だったと思う(星野さんいつも遠いところをご苦労さまです)。ホームページを作ってみたかったという動機もある。
村井さんからはメーリングリストを始めたら、という提案もあったが、正確な会員数の把握もできていない状況(進行中)だったので、とりあえずできるところから手をつけたという理由もある。
ホームページを見られない環境の人もいるかもしれないが、安心して欲しい、さほど重要な情報は載っていない。
それでもせっかく立ち上げたんだからみんなには見に来て欲しいし、たまにでもチェックしてもらわないと、本当に重要なお知らせがあるときに役に立たない。
そんな意味もあって、開設1ヶ月はかなりこまめに更新を続けてきた(できる範囲でね)。
毎日ニュースがあるわけでもないので、つなぎのために始めたのが「プライベートなコメント」だ(資料なしで書けるもんね。どちらかというとこっちがサイトのメインコンテンツになりつつあって、危惧してはいる)。
それでも興味を持ってくれた人は次を期待してまた訪れてくれるだろうし、そうでない人は今度は何かあるんじゃないかと期待してまたそれなりに訪れてくれるんじゃないかと思っている。更新を続ける限りは。
ただ、一人で書いているとジャンルでも思想的にも偏ってくると思うし、マンネリになるのではないかと思い「掲示板」を作った。
実は書込み一件に付き500文字という制限があり、ちゃんとしたことを書こうと思うとかなりきついらしい。まあ、論文をのっけようとする人はいないだろうけど、一行、二行のコメントでもかまわない。会員どうしのちょっとした情報交換に利用してもらえればいいと思っている。
それでも長めのテキストを公開したいという人は、しもの宛のメール(mu7a-smn@asahi-net.or.jp)で送って欲しい。このコーナーあるいは適当な場所に掲載する。
掲示板に載った物でも、みんなに知ってもらう必要があると感じたら、NEWSページでも紹介するつもりでいる。
重盛さんから「月刊ミュゼ」にミ利研ホームページの紹介文を書いて欲しいと依頼があったので、何を書こうかと考えている。それこそ考えるほどの文字数ではないんだけど。
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1999.09.05 おいおいもう9月だよ
重盛氏に誘われて「チルドレンズミュージアム研究会」の親睦会(?)に途中から出席した。
ってただビール飲んでるだけじゃん。
小山さんと山家さんの議論は面白かった。「ミュージアムにおけるマーケティング」に始まり「カタカナ語を使うべきか」から「格差是正措置」まで、かなり刺激的だった。だんだん研究会と関係ない方向に行っちゃったけど。
次回は14日だって。今度は本当の研究会らしい。
ところでミ利研の活動は?(タイトルに係る)
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1999.08.22 内覧会
新日曜美術館を見たら岡本太郎の特集だった(4月に放送した物の再放送らしい)。
作品の紹介というよりは、創造のインスピレーションを受けた足跡を辿るような構成だった。
しかし、驚いたのは岡本太郎美術館の紹介。
進行中なのは知ってたので、あれ、もう出来たんだ。と思ったら、そうじゃなかった。
なんと出来上がる前の美術館の内部が紹介されていた。
作品こそ全ては入っていなかったが、内装はほぼ出来上がって、LEDの電光ニュースのような演出も見ることができた。
美術館・博物館の内覧会というと、議員のおじさんたちへのサービスというイメージがあるが(私だけか?)、今後は利用者としての市民からもそのような欲求が多数出てくるだろう。
話は飛ぶが、昨日の世界陸上の中継で室伏ジュニアが予選通過ぎりぎりの三投目を残して放送時間が尽きてしまい、30分番組を挟んでからの放送をまたされることになった。
ところが、その間に調べたいことがあってYahooにアクセスしたら、端っこのニュース欄に「室伏予選落ち」の見出しが!
その時の印象は、スポンサーに左右されるテレビ放送はもう要らない!だったが、さっきの美術館・博物館の内覧程度だったらWEBでさっさとやっちゃえるんじゃないだろうか。
実はもうやっているところ がある。他にもあるかも。
岡本太郎記念館というのは既にオープンしていて、そこでも氏の作品を見ることができます。
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日本一職場に近い博物館に行ってきた(めちゃくちゃわがままな表現)
カメラというものは意外と素性がはっきりしている。
カメラは工業製品であり、売れないとそれこそ商売にならないから、メーカーは必ず宣伝をする。
カメラはまた、趣味の物でもあるので、その道の情報誌というものが存在する。そして次の理由により、提灯記事はそれほど多くはない。
道具としてカメラに求められる機能は、単純である。とにかく写る事。その「写る」に関するいろんなパラメータがあるにはあるが(綺麗に写る、簡単に写る、暗くても写る、水中でも写る、確実に写る等)写真を写す以外の評価が無いから、ジャーナリズムの中でのカメラは丸ハダカと言っていい。
そのためか、カメラに詳しい人は知り合いの中に大概いるものだし、調べようとすれば簡単に調べられる。
「財団法人日本写真機光学機器検査協会」という団体の名称は今回ここを訪れて初めて知った。館のリーフレットによると…1954年日本のカメラメーカーの協力を得て設立。日本の輸出カメラの検査を「一手に」引き受けて、品質の維持と向上に努めてきました。また、検査のかたわら、1969年からは日本の歴史的カメラを認定し、保存する仕事も行ってきました。(カギカッコ筆者)とのこと。カメラ雑誌の親玉みたいなところである。
「歴史的カメラ」というものの存在も初めて知った。
国産カメラ産業の発展に寄与した、量産カメラに与えられる栄誉らしい。結構いろんなカメラがこの栄誉に浴していた。
しかしカメラ雑誌の親玉にしては全体に解説がそっけなく、なぜ「歴史的カメラ」なのかという個々の説明もほとんどなかった。
最終コーナー(?)の一眼レフのカットモデル(実物だから違う表現があるかも)は圧巻。惜しむらくはここにもほとんど解説がない。
蛇足。愛機オリンパスペンのFシリーズがなかったのは残念。
DATA
所在地:東京都千代田区一番町25番地JCII一番町ビル
TEL:03−3263−7110
交通:営団地下鉄半蔵門線/半蔵門駅下車4番出口から徒歩1分 駐車場なし
入館料:一般300円、小・中学生100円
開館時間:10:00〜17:00
休館日:月曜日(祝日または振替休の場合は開館、翌日休館)、年末・年始(12/28〜1/4)その他展示替え等による館内整備期間
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1999.08.16 お盆に蘇る
今回はあまり、というか、全く博物館に関係が無いので、期待している人が(万一)いらっしゃったら申し訳ない。
実家に帰省したら、NHKのテレビでなつメロの特集をやっていた。
公開の生放送の席で、昔のビデオをそのまま流すなどという手抜きをしないところはさすがNHKだ。
死んじゃった人や、引退してしまった人の曲は現役の人が代わりに歌うという趣向だった。
唯一人、出門ヒデを除いては。
番組が番組だけに、「NHKの最新技術で過去の映像から」彼の姿だけを抜きだしたというような説明だったが、今の技術をもってすれば家庭用の機材でも根気さえあれば誰でも出来るような仕事ではある。
ただし、今回の企画にはかひっかかるものがあった。
かつて水野晴男がジェームス・ディーンにインタビューをするCMがあった。
手塚治虫とアトムが生放送に共演したこともあった。
でも今回は映像トリックとして楽しんでばかりはいられなかった。
なにしろ、我々視聴者のような第三者ではない、彼の未亡人がライブで共演(デュエット)をしなければならなかったのだから。
曲が終った後、司会者が彼女を気遣って大丈夫かと尋ねると、小声で「今はまだ大丈夫」という返事が返った。
この企画を立てた人は、過去の出来事を思う時「懐かしい」という感情だけがあるのではないという事に気が付いているのだろうか。
メディアは人を幸福にするのだろうか。ふと、そんな事を思った。
蛇足。山口百恵の「秋桜(コスモス)」を石川さゆりが歌ったのには驚いたが、意外によかった。
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1999.08.10 最近地下鉄の広告でよく見るあの「顔」
私の地元の区立博物館では企画展はほぼ無料である。
まあ、什器も新たに作る訳ではないし、収蔵している資料を基本にしているので利用者へ転嫁すべきコストを算出しにくいのかも知れない。
その点、国立科学博物館で行われている「大顔展(だいかおてん)」 は豪快だ。一般・大学生1,300円、小・中・高生600円である(常設展は一般・大学生420円、小・中・高生70円)。
内容を考えれば高くはない。
「顔」というテーマで集められた様々な展示物には、こんな物までと驚く物が誰でも一つはあるだろう。
ただ、レベルもまちまちで、イタリアから来た頭部のワックスモデルのような御宝的な資料から、カラーコピーを張っただけ(だと思う)のパネル等、おいおいというものまである(せめて皺が寄らないように貼って欲しい)。
蚊や蟹を象った面などという本当は別の機会にじっくり見たかった物もあれば、ハイパーカードを使ったデジタル福笑い等、ゲーム的な要素もある。
最終入場は午後4時(閉館4時30分)だが、悪いことは言わない。閉館2時間前には受付を済ませよう。会場は地下だけではない。本館2階にも展示は隠れているのだ(なんでじゃ)。
DATA
会期:1999年7月31日(土)〜10月17日(日)
会場:国立科学博物館(東京・上野)
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1999.08.02 季節柄、昭和館
既に開館して数ヶ月はたっていると思うが、東京・九段の「昭和館」 を見てきた。
展示…じゃなかった陳列は6階と5階にある。
何故「展示」ではなく「陳列」なのかというと、これは推測だが、資料を並べただけという見せ方と深く関わっているのではないかと思う。
つまり「昭和館」には通常の博物館の展示に付きものの解説の類がほとんど無いのだ。
「陳列室」内で見られる文字は、資料に付けられた「昭和○○年頃まで△△県で□□さんが使っていた××」というネームプレートだけと言っていい。
本来の意図はさておき、これには望ましい効果が一つある。
来館者自身が語り部になれるのである。
陳列品には昭和30年代頃まで使われていたものがある。だから今現在30代後半の人間であれば、思い出の品といえる物がいくつもあるのだ。
ましてや戦中戦後に苦労した世代なら百言あっても言い尽くし難いであろう。
ここはそういう人が孫子を連れて来るところなのだ。
そこには戦争に纏わるイデオロギーなど存在しない。
あるのは(おもに苦労をしたという)思い出だけである。
かつて似た思いをしたことがある。
高畑勲の劇場用アニメ「火垂るの墓」を見たときである。
私の知り合いは、この映画を「反戦」というフィルタ無しには見ることができなかった。
私の感想はただただ「不幸な兄妹の物語」である。
勿論彼らを不幸な状況に追い込んだのは戦争には違いないが、映像表現の中で見る限り、この兄妹の親戚はひもじいながらも生き延びているのである。
戦争は彼らの死の一因かもしれないが、それはきっかけに過ぎない(あくまでも映像表現の中で見る限り、ですよ)。
前出の知人は「それでも戦争は子供たちにとって大き過ぎる出来事だ」というので、私は言葉を失った。
それじゃあ映画を見る必要などなかったんじゃないの?
さてここで「昭和館」の意図を推測(しつこい)すると、イデオロギーの徹底排除である。
いかに中道を主張しようと右の人は左と批判し、左の人は右と罵る。
あと50年経っても変わらないかも知れない。
そういう意味でも戦争は大きすぎる出来事だったのだろうか。
蛇足、手塚治虫って本当に昭和な人だったんだね。
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1999.07.22 ...と博物館と美術館と...
以前、骨董品屋さんと話していた時のこと。骨董屋さん曰く、
「博物館てあんまり好きじゃないんですよ。だって偽物が置いてあるじゃないですか、たまに」
と言われて驚いた事がある。
彼の言っている事に誤りが無いことは誰もが認めるだろう。
確かに博物館には偽物が置いてある。
でもそこには偽物という負い目はない(いやあるかも知れないが)。
なぜならそれが偽物であることによって何等の価値も変わらないような文脈の上にそのモノ達は並べられているのだから。
ところが、美術館ではそれは許されない(筈だ)。かつて軽井沢のセゾン美術館で”フェイク展(正確なタイトルは分からない)”というのをやったそうだが、これは狙った上でのこと。普通にできることではない。
博物館(業界)は、長い年月をかけて様々なメディアを作り上げてきた。偽物で語るという技もそうだ。
今、博物館の活動は空間の制約から解き放たれつつある。
ただ、物質との関係が薄れて行ったとき、博物館という呼び名がそのまま受け継がれていくかどうかは何とも言えない。
言葉の意味を詰めていくと、
美術館→博物館→図書館→データベース
という順に物質から解放されていくように思う。
また、これとは別に、美術館→劇場…という参加の度合が増していく流れが有るかも知れない。
博物館はこれからもメディアを使いこなしていけるのだろうか。
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1999.07.14 ハコモノ?いいじゃない
仏作って魂入れず−−魂は誰の物か?
行政が作るハード+市民が作るソフト、という関係は成り立たないのか?
市民は行政にサービス以外のソフトを求めるべきなのか。
◆情報を管理するということ
例えば博物館のコンテンツ、教科書と同じ内容なら行政主導で構わないが、それでは学校とどう違うのか。
同じ教育委員会という枠の中で、現在の社会教育(生涯学習)は学校教育の範疇を超えているか?
◆コンテンツ制作は行政サービスか?
インフラ整備は行政の役目と言えるが、そのインフラを利用した普及活動は?
施設を利用するのは常に市民であるべきではないのか?
◆出でよ!博物館ソフトの管理者、NPO学芸員!
行政が作るハード+市民が作るソフトの可能性は?
博物館運営を100%民間に委託出来るか?
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