4:南館(2)


「……龍の壺?何じゃそりゃ?」
 竜一郎がまず最初に訪れたのは、南館の物理準備室に常駐している、担任の天野時広教諭のところである。
「今度の星望祭での、委員会本部展示の下調べなんです。南館をねぐらにしているのは天野先生だけだから、きっと何か知ってると思ったんですが……」
 中学校や高校の教師が、担当科目の準備室などを憩いの場とするのは、大変ありがちな現象である。
「ねぐらときたか。まあ、流石に寝泊まりしている訳じゃないが、なかなか適切な表現だな(^-^;)」

 天野先生はトレードマークの白衣姿で腕を組み、苦笑しながらそう答えた。
「じゃ、壺でなくていいですから、何かこの南館に伝わる不思議な話とか、聞いたことないですか?」
「不思議な話……?私がこの学校に来たのは、ちょうど新校舎が落成してからだからね、奥の深そうな話は知らないよ。生物の伊集院先生とか、教頭の川上先生とかの、勤続ウン十年の先生方に聞いた方がいいんじゃないか?」
「はあ、そうですか」
 はぁぁっ。竜一郎は溜め息をついた。
「ま、私にとって不思議なことといったら、南館は何だか居心地がいい、ってことぐらいかな。他の誰もがあまりいい気持ちがしないと言うんだけどね。明石君はどうかい?」
「ははは、俺はここには授業でしか来たことがないから。……でも、なんだか味があっていい感じですね、南館は」
「へえ、そんなこと言うのは君が初めてだよ」
 天野先生は、竜一郎の感想に、ちょっとびっくりしたようだった。
「……ところで明石君、今年の委員会展示のテーマって、一体何なんだい?」
「ええと、ほら、この間終礼のときアンケートとったでしょう。『星望学館七不思議について』っていうやつ」
「ああ、あのアンケートがそうだったのか。残念ながら私はあの手の話には疎くてね。ほとんど協力出来なくて申し訳なかった」
 科学万能の現代に、怪奇現象について説き広める理科の教師がいても困りものであろう。
「でも、噂があるのは確かめられたんだけど、なかなか現物が確認出来なくて苦労してるんですよ」
「苦労、か。頑張っているじゃないか、明石君。君が委員に選ばれたとき、『話が違う』だの『なんで俺に投票したんだ』とか騒いでいたのにな」
 してやったり、と苦笑しながら、天野先生は言葉を続けた。

「……今度の星望祭、楽しみにしてるよ。私に出来そうなことがあったら協力する、いつでもここへ訪ねておいで。その『壺』とやらも暇を見つけて、探してみよう」
 天野先生はにんまりとしながら、竜一郎の肩をぽんとたたいた。
「そ、そーですか。ありがとうございます」
 ちょっとくやしいなーと思いつつも竜一郎は一礼し、南館の物理準備室をあとにした。

「どうだったか、竜一郎?」
 竜一郎が星望祭実行委員会室のドアを開けると、先に帰っていた良寛が声を掛けた。
「駄目駄目。そっちはどうだった、りょーかん?」
「俺の方も全然駄目。でも、三輪がまだ帰ってきてないから、もしかしたら有力な情報を掴んだのかも」
「そうだといいんだけど。とりあえず、俺もあいつに一抹の望みをかけてみるか……」
 竜一郎は全くあてにしてなさそうな顔でそう答えた。
「竜一郎、高鳥君、帰ってる?」
 噂をすれば何とやら。恵理奈が実行委員会室に帰ってきた。
「なにサエない顔してるのよ、二人とも。さては空振りだったな?」
「それより恵理奈の方はどうだったのかよ。何か有力な情報は掴めたのか?」
「有力とは言えないんだけど、川上教頭先生から話が聞けたわ。『それが龍の壺というものかどうかは知らないが、旧館には古い壺があった』って」
「でも、南館には壺なんかないって言ってたぜ」
「ええっ、誰がそんなこといったの?」
「南館の管理責任者の、俺の担任」
 その答えを聞いて、恵理奈はふてくされた顔をした。
「あーあ、これでまた振出しに戻っちまったか」
 良寛は、ふてくされた恵理奈をなだめすかすように呟いた。
「……ちょっとぉ、何で竜一郎が天野先生の所へ話を聞きに行ったのよ!」
 だが、当の恵理奈本人の不機嫌の理由は、どうも違うところにあったようだ。
「何でって?……俺の担任だし、いつも南館にいるから手っ取り早いと思ったんだよ。そんなに怒ることねえだろ。俺のどこが悪いんだ!」
 突然怒鳴りつけられた竜一郎は、他の子のやった悪戯を間違って咎められた子供の理不尽さを味わっていた。
「天野先生にはね、私がお話を聞きにいく予定だったのよっ!それなのに……」
「何だよ、はっきり言えよ」
「いいわよ。もう、いいわよっ!……次、聞きに行ってくるからッ」
 恵理奈はそう言い捨てて、委員会室をあとにした。
「何だよあれ……」
 竜一郎は事情が呑み込めないまま、やり場のない怒りを露にした。
「そう怒りなさんなって。女の気持ちなんて俺たちには分かんねえよ」
 良寛は八つ当たりされた竜一郎を慰めた。
くすくすくす……
 同じ委員会室内で仕事をしていた2年女子の委員たちが苦笑しだした。
「……そうそう、乙女心ってモンが分かってないわよ。明石君たち」
 恵理奈と同じ2Hの委員・村上あずさが、訳知り顔にそう言った。
「おとめぇ?あいつが?」
 竜一郎は呆れ顔でへらへらと笑った。
「恵理奈はね、天野先生の大ファンなのよ。せっかく担任なんだから、明石君も少しは天野先生の味わい深いところを見習いなさい( ̄ー ̄)」
「成程ね。三輪もなかなか可愛いところがあるじゃないか。なあ、竜一郎?」
「……ふざけやがって。なーにがファンだ。笑かしてくれるじゃねーの。あんな真面目くさった曲者カタブツオヤジのどこがカッコイイんだよ」
 と、イキがりつつも、竜一郎の顔は引きつっていた。良寛はそれを見て苦笑した。
「お前も、前途多難だな」
「……何か言ったか?」
「いや、何でもない。……さて、それじゃしょうがないから俺達はまた別の『不思議』について調べにいこうぜ」
 そう言って二人も委員会室をあとにした。