■セブンアイ
 
「トゥクトゥク」


 どうしてこう、落ち着きがないんだろう。
 バンコクの蒸し暑い中で、日本代表がドイツW杯への切符を世界で最初に獲得した晩、感激に浸る間は全くなく、私は試合終了後、空港にダッシュしなくてはならなかった。

 競技場の外をふと見ると、バンコク名物「トゥクトゥク」が客待ちをしている。渋滞のひどい街で、リヤカーにエンジンを搭載したような荒っぽい移動手段として、市民の足となっている車だ。値段は交渉次第で、ずいぶん幅があり、もちろん日本人には高値。時間がないのでとにかく飛び乗り、ホテル名を告げた途端に走り出すので排ガスを思い切り吸い込んだが、この際、贅沢は言っていられない。

「悪いんですが、かなり急いで」
 何を言っても爆音にかき消されてしまったが、彼の力強い「返事」は運転でわかった。渋滞する道、トゥクトゥクは対向車線にはみ出し、私は「ヒエー!」と絶叫したが、運転手は平然としたものである。座っているだけでなぜか息切れしたが、お陰で何とか間に合った。さて交渉だ。少し語気を強めた。

「30、いえ、対向車線にまで飛び込んでくれたので40(バーツ、約120円)」
 ずっと愛想のなかったドライバーは、急にタイ式の、目の前で手を合わせるお辞儀をすると「結構です」と笑った。
「おめでとう。今日、日本はバンコクで勝ったんですよね。W杯に行くお祝いに」
 ていねいなお辞儀をされたとき、ああ、W杯出場権を獲得したのだ、となぜかしみじみした。

 5月29日、アブダビ(UAE)からスタートしたW杯の切符をめぐる旅は、マナマ(バーレーン)を経由し、バンコクで最高の形で終わりを告げた。運転手が120円で祝ってくれたことだけではない。アブダビでは、営業時間の終わったレストランで、わざわざアラビアパンを粉から作ってくれたシェフ、マナマのホテルで日本語を覚えたい、と毎日話しにきてくれたナディアは、たった3日の滞在なのに別れ際に泣いていた。

 最終予選8年ぶりの突破に、私は切符とともに多くの「土産」を持ち帰った。9日朝、興奮と感動を集め、テレビの華やかなスポットライトを浴びる日本代表を会見場の隅で見つめながら、12日間同行取材し、彼らの一言、ワンプレーに注意を払い続け、メモを埋めた昨日までが、もうずいぶんと遠く感じられた。来週のこのコラムは、コンフェデレーションズ杯の行われているドイツから書くのだから。

(東京中日スポーツ・2005.6.10より再録)

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