■2006ドイツへ Wの軌跡
 
「愛しの坊主頭」

 偶然、割り当てられたプレスシートのおかげで、ピッチでの出来事と同時進行する得難い光景というものを、私は90分間目撃していた。バーレーン戦を取材する視野には、力を尽くし、歯を食いしばって走り続ける代表の姿と、小野伸二の「坊主頭」がずっと消えることがなかったのである。

 3日夜のスタジアム、割り当てられた席の前列に、ベンチを外れた土肥、三浦淳、茶野、本山、遠藤、そして、試合2日前、足小指付け疲労骨折が判明した小野が座った。何週間も共に、全力で練習を続けながら試合直前、こうしてベンチから離れる無念は、いくら「チームのため」とはいえ、綺麗事で済むものではない。まして、骨折をした小野には掛ける言葉が見つからず戸惑っていると、先にこちらに向かって右手を差し出してくれた。「残念です」と、お粗末な言葉をかけると、小野から柔らかな笑顔が返って来た。
「僕が落ち込んでも仕方ない。切り替えているから大丈夫、心配しないで」と。

 キックオフから小野の、形のいい坊主頭がちょうど机の端に見えているので噴き出してしまったが、「愛しの坊主頭」は試合中、何度も何度もこちらを振り返った。
「ヒデさん、(警告)2枚目だよね?」
「今、誰が蹴ったの?」
「ロスタイム何分って?」

 1日の紅白戦中、自分の離脱に代わった小笠原が得点したとき、小野はとっさに椅子に上がり、こちらのテレビをのぞき込んだ。
 リプレーを見つめ、画面を叩く。
「このシュート上手いなあ、すげえよ」

 小野も、彼らも、ちっとも冷静なんかじゃなかった。ピッチの仲間と一緒に、不利な判定に声を上げて怒り、気迫のプレーには手をたたいた。試合終了の瞬間、小野は「ヨッシャー!」とガッツポーズをし、ピッチに向かって大きな拍手を送った。

 試合後、小笠原は「伸二が明るく振舞っているのを見て、負けられないと思った。伸二の分、ベンチに入れなかったみんなのために」と言った。大きな勝利をもぎ取った晩、ピッチに立った選手たちから聞かれたのは「誰かのために」という言葉だった。それがどれほど大きな力を生むのか、そしてそれを胸に戦うことが「代表」なのだと実感したのなら、得たのは単なる勝ち点3だけではなかったと思う。

 離脱した小野が笑顔とともにチームに残した何か。同時に、あの席とピッチを強くつないでいた見えない何かを見せてもらった、熱い夜だった。

(東京中日スポーツ・2005.6.5より再録)

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