■セブンアイ
 
「ヒデを巡る旅」


 窓をちょうど額縁のようにして、丘の向こうに新緑が眩しい。イタリアの古都・フィレンツェで、教会の鐘が鳴り響く午後、私は穏やかに微笑む中田英寿(フィオレンティーナ)と並んでカメラを見つめていた。中田のインタビューのため、2泊3日で帰国する。サッカーを巡る旅は、特に中田英寿を巡る旅には、スピード感が溢れている。
「2人で写真を撮るなんて、たぶん初めてだと思うな」
 ぎこちない笑顔を作り、前を見たまま私がつぶやくと、隣で中田が笑いながら言った。
「嘘だぁ、だって、ずいぶん昔から取材してくれてるでしょう。それでも?」
 それでも。

 95年の冬、相模川の河川敷にあるベルマーレ平塚(現在は湘南)を見学に来た、当時の金の卵と出会ってから10年が経つ。毎日、新幹線が通過するたび何も聞こえなくなるような河川敷で、好きなだけボールを蹴って居残り練習をする彼を待ち、土手を並んで歩いて取材をした、今では考えられないようなそんな懐かしい日々もあった。誕生したばかりのプロを象徴するような勢いで10代で日本代表入りし、そのままW杯初出場を果たすチームのレギュラーとなり、フランスW杯後、最高峰と言われたセリエAに移籍。パイオニアはいつしか5チーム目に在籍するベテランとなり、今回改めて、彼が猛スピードで走り続けた10年を思うことになった。

 この1年は同時に、「初めて」立ち止まった年でもある。昨年ちょうどこの時期、過労により股関節の痛みを訴え、フィオレンティーナも代表も長期離脱した。強靭なイメージからか、痛みやリハビリについて大きく扱われることはなかったが、初めての大きなケガ年目を迎えた、激しいリーグでのキャリア、ケガからの復帰も遅れ、クラブで与えられなかった出場機会、これらの状況に疲れていないのか、ずっと聞きたかった。

「うまくいかないこともある。でもケガが99%治った今は、来期にどんなプレーをするかをずっと考えている。最初の頃のようにまたサッカーをやってみたい、ってね」

 河川敷で見た笑顔は、10年ずっと変わらないと、写真を撮影しながらふと、思った。走り続け、必死に追いかけ、立ち止まり、10年かかって初めて撮影した1枚の写真を見つめ、彼が呼んでくれたタクシーに乗り込んだ。窓を振り返ると、石畳の小道の向こうで、中田が手を振っていた。

(東京中日スポーツ・2005.5.6より再録)

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