■セブンアイ
 
「ひな祭り」


 女の子の節句だもんね、ちょっと豪華に行きましょうか、などと、友人と奮発しようとランチに出掛ける。いい歳をして、「女の子」だなんて、周りが聞いたら腰を抜かすか、噴き出しそうなフレーズも、3月3日だけは許されそうな気分になるから不思議だ。許してない方、いるかもしれませんが。
「私も、この、お内裏様とお雛様のお菓子をちょうだいな。女の子のお節句ですからねえ」
 おばあちゃんが嬉しそうにウインドウをのぞき、ひな人形を模った和菓子を注文しているのを横目に、「私たち、まだ許容範囲かも」と、友人とクスッと笑った。

 幼いころ、必ずひな人形を飾り、ちらし寿司や蛤のお吸い物を用意してくれた母も祖母も、私が男性ばかりに混じって仕事をするような将来は願っていなかったと思うが、「ひな祭り」というどこか優しい響きには、女性は特別な思いを持っているのではないだろうか。ちょっぴり奮発した和食を食べながら、友人は言った。
「母は折り紙でいつも素敵なひな人形を作ってくれたのよ。今となっては折り方をちゃんと教わっとくんだった、と後悔しているわ」
 大学を卒業する年のひな祭りを前に、彼女の母上は病気で亡くなったそうだ。不器用な彼女に「教わっても、できなかったかもよ」と冗談を返し、ふと思い出した。

 80年代の話だ。女子の国内3大レースである名古屋国際女子マラソンは、3月1週目の週末に行われる。当時、中距離ではすでにトップクラスの実績をあげていた小島和恵という女子ランナーが、招待選手ではなく、一般ランナーのゼッケンで初出場し2位となった。記録は2時間34分台。今では考えられない記録かもしれないが、当時は、国際レースに初めて挑戦し2位になることは、日本の女子マラソンでは最高の賞賛を受けるに値する成果だった。

 ゴールしたあと、青森の豪雪地・木造の実家では、彼女のお母さんが3日を過ぎてもひな人形をしまわず、テレビ中継もないなか、ひな祭りのための料理を準備した食卓で、42キロに挑戦した娘の無事をずっと祈っていたのだと教えられた。ソウル五輪代表にはなれなかったが、2時間29分をマークし、89年静かに消えた女性である。
 結婚し娘の母親になった今、彼女も今ごろ、ひな人形を前に料理を作っているだろう。
 日本女子マラソンが世界に走り出した時代の話。

(東京中日スポーツ・2005.3.4より再録)

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