■セブンアイ
 
「加茂監督」


 最終予選というと、今でも、「あの夜」を思い出す。興奮なのか、それとも悲しかったのか、今でもわからないが、とにかく眠ることができずに、当時カザフスタンの首都だったアルマトイで過ごした長い夜である。

「加茂監督を更迭します」
 日本サッカー協会の長沼会長(当時)の声は少しかすれていて、重かった。会見が始まったのはもう日付が変わる深夜で、記者たちもその声にドタバタと電話に走り、社へ報告する声も内容も混乱していたこと、締め切り直前でラップトップのキーをひっぱたく音が鳴り響いていたこと、これらを思い出す。

 97年9月に、アジア大陸初のホーム&アウェーで行われたサッカーのフランスW杯アジア最終予選、日本は初戦に勝利したあと、アウェーのUAEと引き分け、ホームで迎えた韓国に敗戦。中央アジアでの過酷な2連戦に向かった。最初のカザフ戦、ロスタイムで同点とされ、指揮を執っていた加茂 周監督は競技場を出る際、サポーターに唾を吐かれた。その晩、協会幹部は監督の更迭と、岡田武史コーチの代表監督就任を発表する。

 8年が経過した今なら、監督の解任に驚くこともないだろう。しかし当時は、本当は選手や監督だけではなくメディアも、初めて経験するアウェーの連戦、しかも最終予選という崖っぷちに立ちながら、こんなことが起きる、そういう事実を把握するのが精一杯だった。

 1月の代表宮崎合宿で、幸運にも川淵キャプテンと当時の話をする機会があった。
「僕も、カザフ戦直後、『加茂さん解任ですか?』と聞かれ、『ウルサイ!』なんて真っ赤になって怒鳴って、それがテレビに映っていた。今では考えられない対応だけど、当時は皆、余裕がなかった。でも、加茂さんは立派だった。更迭を伝えたときのことは忘れられない」

 加茂氏はその時、静かに「わかりました」とだけ言い、「選手を頼みます」と頭を下げたという。それだけだった。最終予選で敗れたのは韓国戦1試合。日本全体が初めて経験した、興奮と異常な注目や怒りは一体何だったのだろうと、考えることがある。

 9日の北朝鮮戦を前に、親善試合を観戦した加茂氏が、ゆっくりとスタジアムの階段を下りる姿を見つけた。
「もう8年ですね。信じられないです」
 加茂氏は柔和な表情で笑った。
「そうやねえ、早いもんや」
 65歳の大きな背中は、言葉より遥かに雄弁で。

(東京中日スポーツ・2005.2.4より再録)

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