■セブンアイ
 
「ロンドンにて」


 ロンドンの日の出は遅い。
 日本とは9時間差もあるから、夜明け前から仕事をして何とか東京に追いつく。一段落して東の空が青白くなるころ、ううっと身震いをしながらシューズの紐を結んでランニングに行く。気温計はマイナス3度。
「おはよう、今日もがんばるね。薄く張った氷で転ばんように気をつけて」
「今日は特別寒いみたい」

 サッカーW杯最終予選に合流する稲本潤一(カーディフ)の取材のために英国に来て1週間、毎朝、宿泊するホテル前で雑用を担当するおじさんと、他愛もない会話を交わして一日が始まる。建物の横にある薄暗い階段下には、彼の小さな控え室がある。

 最初の日、気がつかずにその上でストレッチをしながら、下から「おはよう!」と声をかけられて驚き、以来、挨拶をするようになった。同じアジア人というと、何だか気楽になるから不思議だ。ヘトヘトになって帰ってくると、掃除や、赤と白のシクラメンの手入れもちょうど終わり、おじさんは、人のいい笑顔と白い歯を見せながら「成果のほどは?」なんて声をかけてくれる。宿泊客が読み終え、処分する1日遅れの新聞を何紙もたくさん抱えて。

 今日帰国する、と伝え、控え室に下りる階段に座って話をした。
「出身は? ロンドンはもう長いの?」
 買ってきたコーヒーを飲みながら、聞く。
「5年になる。大きなホテルチェーンの募集にうまく採用されてね。国は……」
 インドネシアと聞いて、コーヒーを飲む手が止まった。

 昨年クリスマスに国際電話をかけ、子供3人と話したのが最後になったという。年が明けようやく妻との連絡が間接的に取れたが、津波にのまれた10歳の娘と、何人もの親戚の行方が今もわからないのだ、と、彼は唇を噛み締める。
 帰国する資金はない。毎日、地下の小部屋で祈り、公館からの連絡を待ち、どんな情報でもいいから新聞を、写真を見つめるしかない。20万人が犠牲になる災害の現実を、東京で、溢れる活字や映像で眺めているのとは違う何かを、私はロンドンで知らされた。一瞬にして行方がわからなくなった家族を探す術さえない、泣くことさえもできない、残された人々。

 名前も知らない人だけど、コップを置いて、手を合わせる。ありがとう、祈ってくれてありがとう、と彼は笑った。
 私たちの頭上をラッシュアワーの車が慌しく通り過ぎて行く。

(東京中日スポーツ・2005.1.28より再録)

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