■セブンアイ
 
「お休み処」


 初対面から懐かしかった。
 一度も入ったことのない店なのに、「休屋」と紫紺ののれんに白文字で小さく書かれているのを見たとき、十和田湖畔にある地名の優しい響きをすぐに思い出し、ほっとした。中学3年、自然や風景を愛でるのではなく、御当地名物を食べることと、おしゃべりをするために出かけたような修学旅行である。初夏の東北で初めて味わったきりたんぽ鍋と、私たちのようなお転婆女子学生が履いた靴の泥をていねいに払い、下駄箱にしまってくれていた旅館の方の背中が、やすみや、という響きを聞く度に心の中で重なり、何か温かいものを流し込んでくれる。

 出身地にちなんで名付けられたこの蕎麦屋に、私はもう10年以上通ったことになる。響きだけではなく、設計、建築の仕事から転職したという伊藤さんの蕎麦も、一緒に切り盛りする夫人も、やはり優しかった。
 蕎麦を語るような知識はないので、ただ美味しいと繰り返すばかりだったが、ご主人の打つ清々しいせいろと、信念をろ過したようなつゆ、そして不思議なほど絶妙な「間」に、私は理想の原稿を読むような憧れを抱いていたのだと思う。
 まわりくどいところは一切なくて、シンプルで力強くて、繊細で。食べても食べても、決して飽きることがない。大食いを自ら公言することもないが、1杯を食べ終わると、おかわりの2杯目がすっと目の前に出される。声をかけてください、とか、蕎麦を出していいですか、と聞かれたことは一度もなかったが、おふたりが作り出す心地のよい「間」は、蕎麦とつゆの香りを引き立てた。こんな原稿が書けたらどんなにいいか、と、せいろやざるをすすりながら幾度も考えた。

「設計や建築では理想の仕事がなかなか実現しにくい時代になっていたんですね。ですから大好きな蕎麦に打ち込んで、何かひとつ、自分だけにしかできないものを作りたい、そう願っていました。20年と決めて」

 今日2004年12月31日が、20年最後の日となった。一年でもっとも賑わう大晦日を終え、20年続けた店を閉めるのもまた、ご主人らしくどこか清々しい。最後の一杯をどう食そうか、きっと朝から悩むだろう。しかし、蕎麦を味わえなくても、憧れや理想はこの先も消えることはない。

 最高の蕎麦屋は、そう、心の「お休み処」でもあったのだから。

(東京中日スポーツ・2004.12.31より再録)

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