■セブンアイ
 
「ゼロから取材」


 芦ノ湖畔で冷たい風に吹かれると、駆け出しの記者のころ、怒られたことを思い出す。
──バカもの、家族の年齢まで全て聞いて来なきゃ意味がないだろうが。
──いつ、なんで、この競技を始めたんだ、感動物語だけじゃ、読者にはわからないぞ。

 読者のみなさんは、メインの記事の横にある、数行で書かれた選手の「略歴」に目を留めることがあるだろうか。すでに有名な選手ならともかく、大学生や新人選手なら、生年月日や家族構成、身長、体重まで全て聞かなくてはならず、感動物語の取材よりもはるかに「正確な」取材がいる。私たちはこれを「ゼロから取材」と呼ぶのだが、世界を競うトップアスリートや指導者ばかりを取材する日々に恵まれ、完璧な資料を編集者に揃えてもらえる今でも、新聞記者だった貧乏性で「ゼロから取材」を忘れることが時々おっかなくなる。

 仕事と自戒を込めて、正月は始発電車で箱根駅伝に出かけ、ゴールの芦ノ湖で活躍した選手に「あのお、スポーツライターの……」と名刺を渡して、ご家族は?、漢字はどう書きますか? などと聞く。学生が漢字を説明できなくて、震える手でノートに直接書いてもらったりと、楽しい時間にもなる。

 略歴用のお決まりの質問だが、今年の箱根駅伝の2人からもらった「答え」は、略歴ではなくメイン原稿にふさわしかったと思う。
 2日、5区の山登りで従来の記録を一気に2分以上も更新する驚異的な区間新記録を樹立した今井正人(順大2年)に、記録と11人抜きの話を聞き、家族も教えてもらい、最後に略歴用にと好きな言葉を尋ねると、今井は即答した。その四文字の熟語を、過酷な山登りの間、心の中で唱え続けたからだ。

「一路順風。信じた道には、いろいろな人が追い風をくれると僕は思います。今日も、沿道の応援に追い風をもらいました」

 3日復路の最終区でも、区間新をマークし、日体大の大躍 進(2位)の立役者となった4年生・山田紘之に、11月まで走れなかった大ケガの詳細を聞き、支えとなった言葉はあったか、と最後に質問した。
「走れなかったころ、シービスケットという、アメリカ競走馬の映画を見ました。心が折れるくらいなら足が折れたほうがましだ、そんな言葉があり、勇気づけられました」

 正月早朝から寒空に出るのは体にこたえるが、2人のお陰でいい正月だった。
 ゼロから取材のお陰でもあるから、困る。

(東京中日スポーツ・2005.1.7より再録)

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