■セブンアイ
 
「ドイツ」


 高校3年で運転免許を取ってから、ずっと、乗りたいと思っていた車はドイツ車だった。形からしてユニークで、エンジンのかけ方には癖があったし、バックのギアの入れ方が独特なものだ。10万キロになろうかという中古の黄色いカブトムシには、ずいぶんお世話になったと思う。

 子犬が生まれたんだ、よかったら見に来ない? と友達から誘われて、まだ目も開いていない子犬を見たとき、母に「飼ってもいい? ちゃんと世話をします」などとせがんだのだと思う。今では、ミニチュアが人気犬種No.1だそうだが、私が中学のころはスタンダードのダックスフントはあまり見かけなかった。吹き出してしまいそうにユニークな姿と、愛嬌のある表情や仕草はこたえられなくて、我が家は行こう3代連続で飼うことになってしまった。ダックスフントもドイツ犬である。

 16日、横浜国際総合競技場で、史上初となるドイツとのサッカーの親善試合を見ながら、ドイツには何かと円があったのかなあ、とぼんやり考えていた。しかし、もっともっと大切な場所もまた「ドイツ」だった。

 子どもがビアホールに出入りするなんて普通ならば考えられないだろう。しかし、父は、自分が好きだったドイツレストランに母と妹と私をよく連れて行ってくれた。ドイツ人ルディさんの経営する「ルディ」は、アメリカ大使館のそばにあるビルの地下にあり、階段を下りるたびに、すばらしい生演奏を聞かせてくれる楽隊の人たちが「よく来たねえ」と笑顔で迎えてくれ、ビールジョッキと大人たちの明るい笑い声や完成、アイスバインという名前で気に入ったドイツ料理の匂い、ドイツだけではなくいろいろな国のお客さん、さまざまな音楽、なんだか級に大人になったみたいで、見るものすべてに胸がドキドキしていたことを覚えている。少額1年の私は、レジにいた店主の奥さんと話すのに踏み台に乗っていた。

 私たち家族がもっとも通ったドイツレストランはその後、名前を変えて場所も移し、ルディさんはなくなり、しかし奥様が店を守って楽隊の方々ともずっとずっと、もう30年以上も楽しく付き合ってもらったことになる。先月、お店が様変わりする、と手紙が来たと父から知らされた。

 アタシは本当に多くのことを、あのビアホールで、店の大人たちに教えてもらった。ドイツ戦のピッチを見ながら、踏み台に乗って大人たちと話していたころの自分を探してみた。

(東京中日スポーツ・2004.12.17より再録)

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