■セブンアイ
 
「滝本の誇り」


 この男性には、いつも驚かされてきたので、最近では何が飛び出すのか、なんだか楽しみにさえなってきた。
 7日、自信の29歳最後の日、シドニー五輪男子柔道81キロ級の金メダリスト・滝本 誠が、大みそかに行われるPRIDE「男祭り」に参戦する、と会見を行った。華やかな壇上で、おそらく緊張していたはずだ。しかし、マイクを握って堂々と質問に答えるその姿には、やはし4年に一度の世界で頂点に立ったオーラが満ちていて、その輝きは少しも褪せないのだな、そう思った。

 野村忠宏、井上康生、谷 亮子、高橋尚子、シドニーの金メダリスト4人はすぐに思い出せるが、あと1人、と言われるとなかなか出てこないのではないだろうか。なにしろ、金メダリストである本人が、あえて「消える」ことを好み続けて、シドニー後も、好きなサッカー以外の取材は受けていなかったのだから仕方がない。五輪から、金メダルとともに凱旋すれば、翌日から想像を絶するような数のイベント、テレビ出演、ゲストをこなすのが、まあ普通なのだが、この男は、その類を一切やらなかった。

 シドニー後、単身でフランスへと渡り、予想を裏切って柔道ではなくフランス語を学び、昨年、アテネを見据えて復帰、連覇を狙ったが、国内最終選考会で敗れた。「取材嫌いの変わり者」、そんな方言をされる選手に、昨秋、初めてインタビューをした際には、ずいぶん驚かされた。なにそろ、アテネへの意気込み、オリンピックへの思いも話さない、代わりの芸術の話に終始する、じつに不思議なインタビューになってしまったからだ。

「ピカソのゲルニカには圧倒されました。将来は陶芸の勉強をしたいと思って、最近は大きな花瓶を作ったんですよ」と説明してくれた。ろくろを回しながら五輪を目指すなんて痛快だろうと思っていたが、今度はPRIDEのリングに上がる、という。

 過去の栄光や戦歴を守る選手もいる。しかし、滝本のようにそれらをいとも簡単に箱にしまって、次へと踏み出す選手もいる。
 PRIDEの会見では質問が出なかったが、聞きたかったのは、あの金メダルの行方だった。金メダルは、今どこに?
「どこかで埃をかぶっているんじゃないかと思います、どこにあるかな」
 たとえメダルは埃をかぶっても、心の誇りは変わらない、そういうことだ。

(東京中日スポーツ・2004.12.10より再録)

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