■セブンアイ
 
「おこづかいの行方」


 8歳の鈴木彩乃ちゃんにとって、それは、日本サッカー界の未来がかかった試合である以上に、自分の将来がかかる試合だったんだそうだ。かわいいおしゃまさんは試合当日、小学校へ行き、クラスメイトに腕組みをしながらシリアスな表情で言った。

「今日、日本が負けたら大変なことになるのよ。勝ってもらわないと」

 オマーン戦が終わり、記者もようやくほっとした今週初め、オマーン戦であわやジーコ退席のピンチの瞬間、とっさに「楯」となり自らが退席した「裏MVP」、鈴木国弘通訳(48歳、ポルトガル語)を記者たちで囲んだ。鈴木さんは、長女・彩乃ちゃんに、オマーン出発前、真顔でこの試合の持つ意味を説明した。
「もし日本が負けて最終予選に行けなかったら、パパは仕事がなくなっちゃうんだ。パパの仕事がないということは、彩乃のおこづかいは、もうなくなるんだよ」

 こんなユーモアあふれる人が、ジーコの通訳である。というより、だからこそ、世界で、もっとも有名なサッカー選手であり、信念の塊のような男の分身を務められるのだろう。
 監督がベンチを飛び出したとき、鹿島時代からもう10年も一緒にいるので、どうすればいいかわかっていた。後ろから、「ジーコ、もうやめたら」と言うと余計に怒るが、前に立つと、逆にサーっと引く。鈴木氏は、ジーコと審判の間に立った。そして監督を守った。

「……つもりが、主審の顔を見たら、思いの丈をぶつけてしまいまして……。退席する途中は胸を張っていたのですが、だんだん、これで負けたら俺のせいだ、引き分けでも……、と」

 もちろん、戦況、そして日本サッカー協会・川淵キャプテンのお怒りの顔や、減俸の厳罰等が、頭のなかでちらちらいし始めた、と初の退場を鈴木氏は笑った。

 ジーコとのケンカは10数年で一度しかない、それも他愛もない、5分違うかどうかの時間について。ジーコの言葉を厳しく、温かく、共感されるよう正確に、瞬時に訳す。退場で気がついたのは、ブラジルと日本、地図のうえでは反対に位置する2か国と、ボールより速く言葉でつなぐ鈴木氏の存在だった。

 お昼寝をして、夜11時のキックオフに備えた彩乃ちゃんは、8歳の女の子とは思えぬ真剣さで、代表とおこづかいの行方を見守った。そうしてお父さんの退場にも冷静にひと言、「パパならやりかねないわ」。
 今週、サッカー界には、ほんのひとときの、心地よい脱力感と充実感が漂って。

(東京中日スポーツ・2004.10.22より再録)

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