■セブンアイ
 
「街角の声援」


 台風による大雨に見舞われた日、交差点で立っていると、横殴りの雨に必死で抵抗するように傘を左手に持ち、店の入り口に何かを掛けようとしている親父さんを偶然見かけた。模造紙を濡れないようにビニールで包み、うやうやしく店の前に掲げる。手作りの看板には、赤いマジックペンで「イチローがんばれ、あと3だ!」と大きく書かれている。信号を渡り、その定食屋の前へ行くと、馴染みのサラリーマンたちも通りすがりの人も、雨宿り代わりに看板を見つめ、楽しそうに声をかけていた。

「苦手な投手から打ったんだね」
「これで記録は間違いないな」
「記録達成の日は、ご馳走してよ」
 笑い声が店の前に響いた。
「毎日、看板を作っていたんですか?」
 私が聞くと、親父さんはうれしそうに、しかし周囲のサラリーマンたちは「もう何回聞いたかな」といった笑顔で首をすくめ挨拶をして歩き出す。

 元サラリーマンの親父さんは、イチローがドラフト4位で入団した92年、子会社に出向し、94年、イチローがレギュラーに定着し210本と、1シーズンの安打日本新記録を樹立した年に本社に戻った。
 雨足はひどくなったが、私ともう一人の会社員は、話を聞くのに夢中になってしまった。
 そうして4年前、会社をリストラされる。イチローがオリックスでプレーをした最後の年である。定年を待つはずだった50歳越えてのリストラは、自分にも家族にも苦しい出来事だったが、翌年、ポスティングシステム(入札制度)でマリナーズに入団しいきなり3割5分で首位打者を獲得したイチローにまたも励まされ、知人に頼んで店を手伝わせてもうらうことにしたという。

「節目、節目で気がつくといつでもイチローがいて、めげそうな自分を励ましてくれたようでね。ただの勝手な思い込みなんだけど」
 照れくさそうに笑い、記録が達成されたら店を持つ準備を始めたいんだ、と言った。
 メジャーでは想像を超える期待が集まるという。一方、彼を送り出した日本では、70年の歴史で初めて野球のない週末がやってきて、彼がドラフト4位で入団し育ったチームも姿を変える。

 記録達成の瞬間、彼の耳に、本場のファンの大歓声と賛辞とともに、日本の街角のささやかな声援も届いてほしいと祈りながら、親父さんに雨宿りと、話を聞かせてくれた礼を言った。どしゃ降りなのに、看板を見る人々の表情は晴れ渡って。

(東京中日スポーツ・2004.10.1より再録)

BEFORE
HOME