■セブンアイ
 
「メダルの色」


 アテネのプレスセンターでともに仕事をしたブラジル記者から、帰国したとメールが届いた。どうやら「あの人」と一緒の飛行機で、サッカーWハイ優勝と同じくらい興奮しながら。
「彼は本当にいいヤツで、ブラジル航空が切符を贈るっていうのにエコノミーで帰ったんだ。体育協会はスポーツ調停裁判所への提訴をする予定だけど、なにしろ当人が、オリンピックの金メダルはひとつでいい、抗議はしない、と言うからね。どうなるか」

 まったく「いいヤツ」だそうだ。男子マラソンで暴漢に襲われ、大きなロスをしながら銅メダルを獲得したあの人。デリマ(バンデルレイ・デリマ)が、1日、ブラジルに帰国した。サンパウロの北、大豆の一大産地で畑に囲まれたパラナ州出身の35歳。じつは15歳まで地元サッカークラブのサイドバックで、「サッカーよりも走るほうに才能がある、つまりサッカーの才能はない、とコーチに言われ」(デリマ)陸上に転向、五輪は過去2度失敗し3度目の挑戦だった。競技場に入ったとき手を広げて走ったのは、もちろん自分のゴールと、サッカーのゴールのパフォーマンス両方を意識したからだそうだ。

 1日、長かった五輪に終わりを告げる日本選手団の解団式も行われ、式典中、壇上で掲げられる何個もの金メダルを見つめながら、アテネの最終日に、本来ならアテネの表彰台で手にするかもしれなまった「金メダル」を手にできなかった2人について、ずっと考えていた。暴漢に襲われる不運にも、笑ってゴールしたマラソン選手と、メダルの裏の「真実の母」という詩を訳し、フェアプレーの真髄を貫いたハンマー投げの室伏広治(ミズノ)は、奇しくも「大切なのはメダルの色ではない」と同じ言葉を口にしている。108年ぶりに故郷に帰った五輪で、最後の最後に出された、重く、難解な宿題ではなかったのだろうかと今、改めて思う。

 不正により金メダルを剥奪されたアヌシュは絶対に返さないと言い、室伏は銀メダルを返却し、静寂に包まれたホームグラウンドでじっと金メダルを待ち、陽気で気のいいブラジル人は銅メダル以上の輝きに涙する。
「メダルは、少なくとも直径60ミリ、暑さ3ミリ、1、2位のメダルは銀製で純度1000分の925以上、1位には6グラム以上の純金を用いて金針、またはメッキを施すこと」
 IOC(国際オリンピック委員会)の金メダルの「答え」は、たったこれだけなのだ。

(東京中日スポーツ・2004.9.3より再録)

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