■セブンアイ
 
「もてなす心」


 ぼんやりと、屋上のテラスに向かって階段を上がっていくと、小麦粉の香ばしさにゆっくりと頭が働き始める。古くてつぎはぎだらけのアパートメントに囲まれた繁華街のテラスで、よどんだ空気を吸うのは素敵な朝とは言えないのだけが、ルーラが「カリメラ!」(ギリシャ語の「おはよう」)とかけてくれる元気な声と、今、焼き上がったばかりのケーキを見ると、笑顔になるから不思議なものだ。

 新装であることを除くと不満は多々あるホテルだが、これらすべてを補ってもあまりあるルーラの手作りの朝食には、おそらくアテネ市内の豪華5つ星ホテルもかなわない。なにしろ毎朝4時半、ひとりでホテルに来てスクランブルエッグを作り、ベーコンを焼き、サラダを準備し、パンをそろえて、フルーツを切る。仕上げは、彼女が毎朝焼いてくれるケーキ。絶賛すると、「素朴なお菓子だから日本人の口に合うかどうか心配だったの」ち大喜びした。2歳の娘がいるが、ファミリーで経営するホテルの繁忙期に、台所を預かっている。

「朝4時半がつらい? いいえ、とっても楽しいわ。自分の家にお客さんが来てくれたと思っているの」

 私は、「お詫びと訂正」をこっそり出そうかと思っている。ギリシャ人は大雑把だから、のん気だからと、わかったようなことを言い、五輪開催を危ぶんだ。しかし、始まってみれば、過去経験した五輪と比較してもすべてに遜色がないどころか、むしろ、彼らこその五輪を開催しているように見える。

 17日、男子体操団体が金メダルを獲得した夜、会場を出たのはすでに午前1時をまわったころ。薄暗い大理石の階段は危ないが、ボランティアがひとりひとりの足下を、マグライトで慎重に照らし、「日本のみなさん、金メダルおめでとう! でもここで着地に失敗しないでくださーい」と、ハンドマイクでジョークを飛ばす。

 この国では、客人を心からもてなす心を「フィロクセニア」というそうである。町のあちこちで、ルーラのような人々が、故郷に戻ってきた五輪と、集まった人々を支えている。五輪を何度取材も取材してきても、思い出すのはメダルの数ではない。

 ルーラは、私がランチも夕食もなかなか取れないと言った翌日から、ケーキを必ずパックに包んで用意しておいてくれる。今朝はパウンドケーキ。まだ温かいケーキを荷物の片隅に感じながら、五輪はまだ半分もある、と、帰る日のことは考えないようにしている。

(東京中日スポーツ・2004.8.20より再録)

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