■セブンアイ
 
「言葉のお守り」


 柔道で連覇を狙う井上康生(総合警備保障)は、手紙が唯一のお守りだという。縁起をかつぐことも、過去の勝利や物にもこだわらないが、大会ごとに父からもらった手紙、何より、母が急死する直前に田舎から送ってくれた、あふれんばかりの差し入れの隅っこに入れ忘れ、亡くなった後に見つかった最後の手紙は、持ち歩き、試合前に読むことにしているそうである。

「言葉以上の贈り物ってないもんですね」と照れる笑顔に、アテネ五輪での勝負を前に巨体を折り曲げ、手紙を読む姿が重なる。

 誰も「何としても金メダルを取って来い」とは書いていなかったのでホッとしている。
 私も今、「言葉のお守り」をバッグに詰めたところである。サッカーアジア杯の北京出張を挟んでアテネ出発の準備をした怒涛の1週間、仕事の仲間や先輩がノートに多くの励ましを書き込んでくれた。
「食べて食べて食べて取材して下さい」
 よくご存知だ。
「良い原稿を、楽しみに待っています」
 金メダル並みのプレッシャーであります。
「何度目の五輪ですか? 肩の力を抜いて、自然体の五輪取材を楽しんでください」
 抜き過ぎないようにしたいものだ、などと読んでいるうちに顔がほころび、ノートを閉じようとしたとき、入れておいた一枚の小さなモノクロ写真が落ちた。

 撮影したのは母なのだろうか。父の右腕には妹が抱かれ、3歳の私は、取材腕章が巻かれた左手に引かれ、各国の旗を見上げて楽しそうに笑っている。1964年、東京五輪をテレビ局で取材をしていた父と一緒の記念写真は、父がアルバムの整理をしたときに見つけたもので、思えば私はこんな年齢からオリンピックに「行って」いたのだ、と何だか可笑しくなる。五輪の風景を何も覚えていないのは残念だが、このとき父がオリンピックの取材を始めて以来、どれほどの価値があるかは別としても、我が家の「五輪取材連続出場記録」は続いているはずである。
「五輪取材は誰もが経験できるものではない。良い取材を」と書かれた父からのファクスももうすり切れて読めなくなってきたが、4年ぶりにまた出番が回ってきた。

 今、アテネへ出発する搭乗口に向かって早足で歩いている。取材も締め切りもなく、父に手を引かれるだけでオリンピックを見ることができたあの頃の自分を、少しだけ羨ましく思い、笑いながら。

(東京中日スポーツ・2004.8.13より再録)

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