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■セブンアイ 「臨海学校」
君なら将来、立派な女船頭になれる、と太鼓判を押され、うれしいかどうかは別として、とにかく私は、諸先輩にそうからかわれていた。漕いだことのある人は射ないと思うが、私は「和船」を漕げる。あの矢切の渡し、それも、波のある生みで、艪(ろ)を使って、重い木の船を自由自在に。だから何だ、と言われればその通りだが、唯一の「特技」である。 卒業校では毎年、夏の臨海学校がある。通年、水泳の進級テストがあり、上に行くと今度は卒業後も後輩の臨海学校を手伝う。沼津沖を2キロ泳ぐ遠泳では、モーターのない安全な和船をブイや飛び込み台、休憩場と、さまざまな使い方をするため、手伝いの「助手」となるとこの操作も猛特訓する。思えば、水着の女の子が「オrよっと」と和船の向きを楽に変えていた姿は。かなり神秘的だったと思う。 先日、偶然見たテレビのニュース番組で、懐かしいあの臨海学校に密着していた。最終日の遠泳では。カナヅチでも絶対に泳がなくてはならない。私が大学のときに手伝った女の子は体が弱く、「無理です」と泣いていた。プールと違って潮もあり、クラゲもいる。怖くて当然だ。 「大丈夫。どれだけかかっても、絶対に最後まで側で一緒に泳いでいるから」 2時間以上でもいいんですか? と自信を回復した女の子は完泳し、涙より、輝く笑顔を見せてくれた。なのに、3時間近くかかっても諦めなかった私たちのヒーロー、親友のほうは、その後、交通事故で亡くなってしまった。 友達や身近な人が何かをやり遂げる感動や、自分のこと以上に感じる喜び、一流選手とばかり多く付き合いながら、そういう気持ちは忘れかけていたのかもしれない、と、臨海学校を映すテレビ画面を見つめながら考えた。そうして偶然、親友の21年目の命日なのだと気がついた。夏の思い出の引き出しは、いくつもあって、開けると少し切ない。 (東京中日スポーツ・2004.7.30より再録) |
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