■セブンアイ
 
「儀式」


 傷口を広げるか、または、塩をすり込むような作業を終えた大人の女性が、「わざと」あっさり言い切った姿に深く感動した。
 アテネ五輪女押し柔道の全日本合宿で、3度目の正直の金メダルを狙う阿武教子(78キロ級、警視庁)は、「いわゆる、気持ちのブレじゃないですかねえ、ハハハ」と、4年前を笑い飛ばした。わずか5分のビデオを再生するのに何日も躊躇したそうだが、「コレを見なきゃアテネへ行けない」と、4年ぶりに自分と対面したという。そこには雪辱を期して臨んだシドニーで、またも初戦負けに呆然と立ちつくす、弱々しい自分がいる。

 世界選手権後、このクラスでの4連勝は、女子の「偉業」と賞賛される。なのに8年前のアトランタは30秒で敗れ、シドニーは、「アトランタよりは、長く」との公約通り1試合5分は戦ったが、またも1回戦で敗退。畳にいる時間などどうでもいいことは、本人が一番わかったいたはずなのに。

「シドニーのビデオを初めて見たんです。気持ちのブレがそのまま柔道に出ていて、同じように身体の軸が、重心がブレている。ここまで情けない柔道かとあきれて、ある意味吹っ切れました。あれなら負けて当然です」
 彼女につられて笑ったが、たったひとりの部屋で、そんな自分と向き合う壮絶な5分間を思うと、胸が痛む。話を聞きながら、練習中に左足首を痛めて合宿を離脱した谷 亮子(トヨタ自動車)を思い出した。やはりシドニーまで1か月を切ったときの話である。
「初めてバルセロナ、アトランタのビデオを見たんです。事実上の決勝だった準決勝に勝ち、もうガッツポーズをしている。あきれました。『勝負師が決勝前に何してるの?』って」

 10年にもわたって女子柔道界を牽引し、今大会もエースとされる、世界の頂点に立つ柔道家たちさえ、数年間も敗戦ビデオを封印し、負けた自分は初めて見るとする、ある執念に驚かされるが、その執念がなければ、4年間のたった1日で世界を制することなど不可能なのだろう。
 五輪開幕まで1か月、選手たちそれぞれ、競技とは別の、ある意味ではトレーニングより苦しい「儀式」をこっそり開いて、飛行機に乗り込むはずだ。そして、五輪金メダルも世界選手権連覇も、最高の理解者も家庭も、望むものすべてを手にした谷は、今、一体、いつの「自分」と向き合い逆襲にかけているのだろうと、ふと考えた。

(東京中日スポーツ・2004.7.16より再録)

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