■セブンアイ
 
「拒食症」


 首都高速で渋谷駅を通過したとき、胸のあたりがズキンと痛んだ。思い出のビルが老朽化を理由にすでにそこになくなることは、1年前からわかっていたし、渋谷にも何度も行っているはずだった。しかし、解体がすべて終わり、文字通りぽっかりと抜けてしまった空間を目の当たりにすると、青春と呼べる思い出にも、どこか大きな穴が空いてしまったような寂しさが押し寄せてくる。

 プラネタリウムがあり、映画館があったこのビルには、何よりも「食べた」思い出がある。渋谷に住んでいた私と乗り換える友人とよく、「隠れご飯」をしていた。
 どうしてあんなに食べていたのかとあきれてしまうし、母はもっとあきれていただろう。バスケットボールをしていたために朝練習をするから朝食をしっかり食べ、2時間目と3時間目の間に校内の売店で買ったパンやおすしを食べ、昼には母の弁当を広げてみんなで大交歓会をし、部活後、家まであと30分の地点でも「もうダメ」と何と釜飯を食べる。1日を振り返って大いに笑い、何でも話し合っていた。コンビニのない時代、セーラー服で年輩の女性に混ざって釜飯を食べる姿には、きっと鬼気迫るものがあったに違いない。

 だから、当時、いつも食べていた友人の1人から電話をもらったとき、心に空いた穴にさらに消毒液を塗られたように染みた、あのころの自分たちと同じ年になった娘を持つ友人は、電話の向こうで声を振り絞った。
「食事ができないの。わかりやすく言うと、拒食症ということのようなのだけれど」
「どうして? 同じ年のときの私たちは……」
 そんなことを言っても励ましにもならない。思春期の女性選手の問題は取材してきた。この病が、華やかな結果をもたらすスポーツの表裏として、決して軽くないことを承知しているし、五輪を断念した選手もいる。体重を気にしたことがきっかけで、精神的なバランスが崩れることもある。幸い、彼女の娘はもっとも苦しい時期は脱したが、今後も休校し長い闘病生活を続けるという。

 何も力になれないが、食べて笑っていたあのころの女子学生のように、私たちは今、昼でも夜でも、メールで、携帯で、他愛もないことを何でも話している。娘の病状の一進一退に泣き、日々の出来事に笑い、ときには憤慨する。ぽっかり空いたように感じた思い出の穴は、不思議な形で再生している。

(東京中日スポーツ・2004.6.11より再録)

BEFORE
HOME