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■セブンアイ 「拒食症」
首都高速で渋谷駅を通過したとき、胸のあたりがズキンと痛んだ。思い出のビルが老朽化を理由にすでにそこになくなることは、1年前からわかっていたし、渋谷にも何度も行っているはずだった。しかし、解体がすべて終わり、文字通りぽっかりと抜けてしまった空間を目の当たりにすると、青春と呼べる思い出にも、どこか大きな穴が空いてしまったような寂しさが押し寄せてくる。 プラネタリウムがあり、映画館があったこのビルには、何よりも「食べた」思い出がある。渋谷に住んでいた私と乗り換える友人とよく、「隠れご飯」をしていた。 だから、当時、いつも食べていた友人の1人から電話をもらったとき、心に空いた穴にさらに消毒液を塗られたように染みた、あのころの自分たちと同じ年になった娘を持つ友人は、電話の向こうで声を振り絞った。 何も力になれないが、食べて笑っていたあのころの女子学生のように、私たちは今、昼でも夜でも、メールで、携帯で、他愛もないことを何でも話している。娘の病状の一進一退に泣き、日々の出来事に笑い、ときには憤慨する。ぽっかり空いたように感じた思い出の穴は、不思議な形で再生している。 (東京中日スポーツ・2004.6.11より再録) |
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