■セブンアイ
 
「スタート地点」


 これが特技かどうかは別としても、パッキング「だけ」は点在的に絶賛を浴びる。海外出張も年に十数回、ここ数年で数十回もしていれば、最小限の荷物で移動するコツも少しは身につくものである。サッカー日本代表のイングランド遠征に出発するため、いつも通り荷物を詰める夜、ふと、手を止めた。
 マンチェスターに行くのは、あれ以来7年ぶりではないだろうか、と。

 アトランタ五輪が開かれた96年12月に新聞社を辞め年が明けたころ、フリーのスポーツライターが一体どんな仕事か深く考えず、今思えば最初の仕事、それも最初の海外出張をすることになった。初めに、一番面倒で、調べものや取材の難しい原稿を扱いたかったのだが、確かに、アトランタ五輪を前に、日本スポーツ界初の筋力増強剤検出による資格者となった陸上100メートルの伊藤喜剛氏と、彼を陥れようと薬を飲み物に混入した、とされた英国人コーチ2人に絡みついた疑惑の糸を取材で解くことは、とてつもなく難しかった。

 合宿中に抜き打ち検査を受けた伊藤氏の尿から筋肉増強剤の(体内を通過した)代謝物が検出される。自身も周囲も、彼の誠実さ、五輪出場の夢をもって潔白を訴え、途中、当時陸連のコーチだった英国人、オルバン氏が何かを混入したのではと疑いをかけられることになる。フリー初仕事は、彼に会うため、英国・マンチェスターへ行くことであった。

「どうして私が選手の飲み物に何かを入れるんだ。日本の役に立ちたかっただけなのに多くを失い、深く傷ついて戻ってきたんだ」
 中央駅から車で10分ほどのスポーツクラブで2時間近く取材をし、私は彼の英語に苦戦しながら無実の訴えを聞いた。「こんなところまでよく僕の話を聞きに来てくれた」と駅まで来るまで送ってくれ、別れ際に彼が日本人のように「おじぎ」をして送ってくれる姿を、振り返った改札口で見つけたことを思い出す。

 伊藤氏も多くのものを失ったが、規則変更により2年で復帰し国体で優勝を果たし、名誉を十分に回復した。シドニー五輪の年だったか、レース中にスパイクが破けてけがをする不運で、今は競技を引退したと聞く。
 英国人コーチはどうしたのだろう。そして私は、あれから一体何回の海外取材をし、スタート地点となったあの駅に戻るのだろう。
 おそらくかけることのないクラブの電話番号をメモし、今回は、いつもと違う何かがトランクの隅に入っているように思う。

(東京中日スポーツ・2004.5.28より再録)

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