■セブンアイ
 
「スポーツ小僧」


 少年は、かなり深刻な「野球グラウンド拒否症候群」に陥っていたらしい。グラウンドには行こうと努力するが、いざ球場が近づくと憂うつになり、仲間を横目に見ながらバットを肩にかけたままどこかへ行ってしまう。原因はあの「声出し」にある。
「行こうぜ、行こうぜ、って声を出しますよね、少年野球は。子供心に思ったんですわ。一体どこへ行くんだ、って。声出しただけで練習が終わると思うと、もう憂うつで」
 足も速いし運動神経抜群。両親も期待をしてくれるし、母親には心配をかけたくない。そこで少年は「練習偽装工作」を思いつく。わざとユニフォームに泥をつけ、砂をすり込んで、カラ元気で帰宅した。

 野球グラウンド拒否症候群の少年はあれから十数年が経過した6日、メッツの開幕戦で歴史的デビューを飾った。昨年、松井稼頭央を取材した際、声出しや球拾いが嫌で、しかし母親にバレないように、ユニフォームを泥で汚して偽装してた、実際は野球部じゃなくて帰宅部、と披露してくれたエピソードに、2人で大笑いしたことを思い出した。これまでメジャーで成功した日本人にたちを松井が違う価値を示すとすれば、それは、日本球界が「野球エリート」を送り込んだのではなく、運動神経抜群の日本の「スポーツ小僧」が、季節ごとにさまざまな競技を楽しむメッカ・米国に乗り込んだ、そんな点にあるのだと思う。行こうぜ! に飽きたころ、ボーイズリーグに所属していた松井はバスケットボールをし、バレーボール大会にも出たし、卓球で好成績をおさめ、サッカーも経験した。

「僕は野球だけで育ったんじゃないし、いろんな競技をやったからこそ今の自分がある。スポーツを愛してます、心から」
 夢のメジャーへの挑戦を目前にしながら、そう言っていた。投手からショート、右からスィッチ、プロ野球からメジャーへ。鮮やかな「転身」を見るたびに、それが単に野球における器用さによって実現されているのではなく、どこか楽しげで不思議な躍動感に溢れているからこそ、ファンは釘付けになる。そういえば、米国陸上界の大物コーチに、本気で練習すれば100メートル10秒で走れる、オリンピックに行ける、と言われたこともあった。
「もうプロでしたけど、よし、陸上でオリンピックに行くかって思いましたけれどね」
 あのときのイタズラっぽい笑顔は、テレビ画面の中でも輝いている。
 行こうぜ、行こうぜ、マツイ!

(東京中日スポーツ・2004.4.9より再録)

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