■セブンアイ
 
「引退」


 谷 亮子(トヨタ自動車)が選考会である体重別選手権を制して4大会連続のオリンピック出場を決めた翌日、私はミセスの華やかな見出しではなく、ある記事を探していたが、なかなか見つからなかった。紙面の下段の、さらに隅に、ある選手の数行の引退記事を見つけたとき、胸が締め付けられた。

 11日、石川の輪島で行われた競歩日本選手権50キロで37歳のベテラン、今村文男(富士通)が4位となり引退を表明した。初めて4時間の壁を破り、91年東京大会から昨年のパリまでじつに7大会連続で世界選手権に出場してきた、日本が世界に誇る「鉄人」である。
 競歩というマイナースポーツにあって、今村は焼肉店や工事現場でアルバイトをしながら夢をつなぎ、富士通に入社した91年東京世界選手権で7位入賞を果たした。そのころから取材で世話になり続けたが、環境を嘆くこともなければ、愚痴も聞いたことはない。競歩のフォームと同じように、いつもユーモラスで、淡々と歩き続け、少しもベテラン風を吹かせたりしない彼の人柄が皆大好きだった。馴染みの記者たちは50キロ競歩がどれほど早い時間にスタートしても、必ず集合し、ゴールする彼をミックスゾーンで待った。50キロの過酷、ゴール直前でさえ審判の判定で歩行失格になるこの競技の不条理、それを毅然と受け入れる気高さを知ることができたのは、彼のおかげだと知っているから。

 電話をかけた。昨年から苦しめられてきた坐骨神経痛は最後のレース中も引かなかったが、オリンピックへつながる選考会での危険は絶対にできない、と、しびれて感覚のない足を運びゴールをした。
「完走ならぬ完歩で終え、この年になって自信と勇気を得た気がします。引退とは大げさですよね」と言った。20年近いキャリアの中でも、休んだのはインフルエンザにかかった1週間だけだった。バルセロナ、シドニー五輪に出場も果たし、世界陸上最高位となる6位を獲得した97年以来、7年ぶりにアテネに戻ろうかという年、競技人生に別れを告げたのは不思議なめぐり合わせである。

 電話で話しながら、湿度90%近かった台風一過の東京、酷暑だったアテネ、いつもげっそり消耗しきって、けれども笑っていた今村の顔が浮かんできた。
 最後に「長い間、いつも笑顔で取材をしてもらい本当に感謝してます」と言われた。最後も笑おうとしたが、うまくいかなかった。

(東京中日スポーツ・2004.4.16より再録)

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