■セブンアイ
 
「サバの味噌煮」


 ノートにポタポタとしずくが落ちて文字がにじむ。締切があんまりにもきついので、とうとう、自分でもわからないうちに涙をこぼしているのかと思ったら、汗だった。
 W杯アジア第一次予選、アウェーのシンガポール戦は、連日80%の湿度に、練習も試合もなく、ただ立っているだけの取材陣さえ水分とエネルギーを搾り取られた。シビレる試合展開に、手に汗握り、額の玉の汗をかき、脂汗もかいたし冷や汗も流し、かなりの「汗まみれ」になったことは間違いない。

 選手の次元とはあまりに異なるが、出場権をかけて戦う「アウェー」の厳しさに触れるのは、97年、フランスW杯の予選最終戦でイランを下した、あのジョホールバル以来となる。毎日熱風をかき分け、シンガポールの街を歩きながら、ここから近いジョホールバルへ車で移動したことを思い出し、あのときどのアウェーでも「変わらぬホーム」を守り続けた人のことを、その人が作った味をずっと考えていた。当時、魚国シンガポール社料理長で日本代表に同行したシェフ・野呂幸一さん。アウェーは選手だけではなかった、と後の取材で知った。野呂さんとコック、栄養士は、材料調達から言葉の通じない相手国のシェフとの調理に苦闘し、命の次に大事、と必ず持参していた8本の包丁を入国の際に、あるいは異国のキッチンで、意味もなくズタズタにされ泣いたこともあったと教えられた。
「アウェーになると選手のみなさんには心のどこかに変わらぬホームを持ってもらいたいなと思います。料理でそれができればと」
 あのとき、選手に一番の人気だったのは、鯖の味噌煮とカレーライス。料理人として店で出す場合、鯖はピンセットで骨抜きをし、カレーの材料はすべて別に下味をつける。しかし野呂さんは選手の「心のホーム」のために、あえて母親の手料理に近づけるため骨はそのまま、カレーも小麦粉でざっくり炒めた。熱い場所でも、どんなに疲れても、このメニューを出すと、あっという間にビュッフェは空になったという。

 あれから7年、日本代表は大きく変わり、しかしまだ2度目となる予選突破に挑もうとしている。日本が最初にW杯出場を決めたのと同じ場所で、7年ぶりの新たなアウェーがスタートしたことは不思議なめぐり合わせだった。野呂さんはどこでこの試合を見ていただろう。もしかするとスタジアムのどこかで。

(東京中日スポーツ・2004.4.2より再録)

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