■セブンアイ
 
「夢が消えた」


 昨年12月、アテネで現地取材をしたときのことだ。マラソンのスタート地点となるマラトンの町のスタジアムで、子供たちをサッカークラブに通わせるお母さんと立ち話をすることができた。スタート地点にあるスタジアムは今、ロッカーやシャワーを備えた大きなスタジアムに改装中である。
「知ってるわ、日本の女子マラソンは強いのよね。97年にはミス・ヒロミ・スズキが金メダルを獲得しているの」

 97年アテネ世界陸上マラソンで金メダルを獲得した鈴木博美(現姓・伊東)の名前が出たことに驚いていると、彼女はじつはボランティアだった、と笑い、ほかの母親たちもマラソンだけは特別よ、と話し続けた。
「自分がかかわった選手がこのアテネを制するなんて、涙が出るほど感動したの。シドニーも優勝しているから、今度はここでアベベが誕生するのよ、マラソン発祥の地でね。楽しみよ」

 15日女子マラソンの代表が決定した。最大の問題は、陸連の基準やメディアや一般のファンの期待をはるかに上回るパフォーマンスを、彼女たちが力の限りを尽くして達成してしまうことであり、誰ひとり代表選考から落ちるべきランナーなどいないのだ。だから胸が痛い。
 高橋尚子(スカイネットアジア航空)が落選したとき、彼女自身の落胆をおもんばかると同時に、世界で彼女ひとりだけが果たすことができた、アベベ、チェルビンスキー以来となる、女子では初の「歴史」を目撃できなくなることを思った。マラトンの町の、普通の人々さえ大きな関心と誇りとをかけて待ち望んだランナーが、あのスタートには立てないのだと思うと、選考とはまったく別の次元で寂しい気がした。

 1964年、32歳のアベベは東京でシューズを履いて、盲腸の手術直後だというのに2連勝を達成した。世界中の誰もをひきつけたその魅力とは、速さではなくて、42キロを通して決して失われない気高さや、限界に立ち向かう美しさといったものだと思う。3連覇にも挑戦しているが、メキシコでは16キロでリタイアをし、静かにコースを、オリンピックを去っていった。のちに交通事故で下半身不随となりながらもパラリンピックで金メダルを獲得し、30年も前、41歳で亡くなっているが、今もなお人々の心を動かす。

「歴史に名前を刻みたいです。もしチャンスが巡ってきたら、どんなに苦しくとも」
 高橋はそう話していた。マラソン発祥の地を目前に、ひとつの夢が消えたことを、マラトンの町の主婦たちは聞いただろうか。

(東京中日スポーツ・2004.3.19より再録)

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