■セブンアイ
 
「魂の冒険」


 流氷が生み出す大地を10か月かけて横断し終えた冒険家・安東浩正に、オホーツクにその流氷が接岸した3月4日、氷の塊とともに朗報が届けられた。今年で8回目を迎える「植村直己冒険賞」受賞の知らせである。昨年、シベリア大陸約1万5,000キロを自転車で単独踏破し、同賞にノミネートされた177件の冒険(登山ほかすべてを含む)の中から栄誉を受けることになった。

「連絡をいただいたときは、ちょうど流氷が接岸した知床におりました。これ以上ない形でいただけたと思い、感謝しています」

 12日、同賞を主催する植村氏の出身地・兵庫県日高町による受賞発表が都内で行われた。安東は、マウンテンバイクでシベリアを横断した際と同じジャケットを羽織って壇上で挨拶をし、「冒険家というタイトルはどうも苦手です」と照れた。事務局によれば、散れと湖畔等にいた安東の携帯電話がずっと圏外で通じず、「知床まで受賞を知らせに行かないとならないかな」と笑い話も起きるほど、伝達さえ冷や冷やだったそうである。「冒険賞」の真骨頂のようなエピソードである。

 会見では、「なぜ危険を冒して自転車で?」と質問が飛んだ。毅然と答えた。
 「危険を冒したことは一度もありません。そして冒険のみが私の目標ではないのです」

 このことを安東に教えてくれた人は、壇上の特大写真の中で満面の笑みを浮かべ、34歳の冒険家を見つめていた。
 高校時代、「植村直己物語」を見て、著作を読みあさり、冒険を志した。しかし、高校生の心を奪ったのは困難な冒険ではなく、植村氏が行く先々で出会う人々との交流であったという。厳しい自然の中で出会う少数民族や、見知らぬ自分を我が家に招き入れてくれる人々。植村氏の著作にある「きゅうりの端っこだけ食べて倹約しても、行きたい場所を目指す」とするまっすぐな心。どれも当たり前のようで、その実「冒険」と名を打たなければ可能にならないかのような「現実」が、安東が「冒険家」の看板を嫌う理由なのだろう。

 単独横断中、植村氏が知人にしたサインと著作名しかない、古びた本の1ページをちぎって肌身離さず持ち続けた。苦しくなると、それを見た。30歳も違う、会ったこともない少年の心をつかみ、サイン一枚で厳冬期の単独踏破を励ます。これほど豊かな「魂の冒険」があるのだろうか。
 今日13日、マッキンリーに冬季単独登頂を果たした植村氏の消息が途絶えた日から、20年目を迎える。

(東京中日スポーツ・2004.2.13より再録)

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