■セブンアイ
 
「中田とマッツォーネ」


 18日、パルマからボローニャに移籍して初のホーム戦(対キエーボ、3−1)は、ペルージャでのセリエAデビュー戦などと同じく、またもひどい雨だったが、中田英寿はその存在感と笑顔から、鮮やかな光と情熱を放ち続けた。観ているこちらの足先は感覚を失い、本当は立つのも痛いほど冷え込んでいたのだが。

 太陽に一層の輝きを与えるのは、包容力のある空と、雲を力強く払う風だろう。ボローニャのカルロ・マッツォーネ、66歳。世界でももっとも激しいと言われるセリエAにおいて、最年長の監督が、ペルージャ時代にともに仕事をした教え子の前の、ちょっとした雲を吹き払った。その大きく、たっぷりと膨らんだお腹から、思い切り息を吐いて。

「ボローニャにおける演劇の舞台で主役を務めるのはナカタなんだ。私? 舞台の後ろでああだ、こうだと騒がしく叫ぶだけだよ」

 監督はローマなまりでよく笑う。試合でも、たとえアマチュア相手の練習試合でも、一度もベンチに腰掛けることはない。セリエA残留請け負い監督、個性あるスター選手たちからもっとも信頼される監督として、誠実なオファーのある場所を渡り歩いてきた。イタリアでは極めて稀な、単身赴任をしてでもある。

「たまには、ソファーに座ってリモコンでもいじりながら、サッカーを見たいとは思われませんか?」そう聞くと、答えに少しだけ間があった。
「そう、これまで一切何も言わなかった家内が、最近、私の健康を案じてうるさくなった。息子はもっと私に相談ごとをしたいと言う。今は様子を見ようじゃないか。まずはボローニャを、美しいチームにするんだ」

 レンタル移籍は、中田に出場機会を与えるためだった。しかし、それだけではなかった。セリエBに転落しようかという最大の苦境に、66歳の老監督は27歳の日本人に支援を求めた。2人はよく話し合い、互いの立場を思いやり、最大の結果を求めてスタートを切ったばかりである。もしかすると監督は「何か」を決めて。

「日本人の強さ、誠実さ、誇り高きプライド、これを自分に教えてくれたのは、初めて接した日本人、ナカタだった」と監督は言う。
 中田の溌剌とした姿は強く、美しい。しかし不思議な縁で結ばれた「日伊同盟」が、氷点下に冷え込むボローニャの街を暖かくするのだとすれば、それはもっと美しい。

(東京中日スポーツ・2004.1.23より再録)

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