■セブンアイ
 
心のエベレスト


 またもやヒタヒタと忍び寄る足音、そして午前6時半とは思えぬ張りのある声。
「お早ようございます!頑張りましょう」
 ああ、情けない、これで何人目であろう。

 先週、早朝の仕事後、皇居周回コースでのジョッギングに挑戦したものの、何人ものご高齢ランナーに「ごぼう抜かれ」され、自信を喪失している。今年2月の青梅マラソンではスタート直後、先を急ぐご高齢ランナーたちに激しく突き飛ばされ、以来、電車でもバスでも「お年寄りに席を譲る」際、どうも疑心暗鬼になっているのだが。
 それにしても、単なる数字の積み重ねで「お年寄り」などと言うのは大きな間違いであると、皇居を2周するだけでも思い知ることができる。

「来月は70歳の記念フルマラソンに挑戦します。子供たちには叱られていますが、足がね、走り始めて3年でみるみる変わりましてね。一時は杖をついてましたから」

 わずかな距離だがそんな話しを聞きながら並走し、抜かれた後、細く、だけど筋肉がしっかりと刻まれ、躍動する69歳のふくらはぎに圧倒されていた。

「靴を脱ぐとかえってバランスが取れなくなり転びそうになりますよ。父も付けておりますのでね、まあ、日々鍛錬ですから」

 果たしてそれを散歩と呼ぶかは疑問だが、毎日3キロのオモリが入った靴を履いて散歩するという三浦雄一郎氏を取材する機会に恵まれた。5月、世界最高年齢となる70歳でのエベレスト登頂を果たし、氏の父上である99歳の敬三氏も今年、モンブラン山系でのスキー滑降に成功した。敬三氏は、行程のほんの一部で若者の力を借りたことを「一生の不覚だ」と燃え、今度は1キロのオモリをつけてトレーニングを積んでいるそうである。

 登頂成功以後、痴呆症寸前だった父が絵画を始めた、寝たきりだったのに歩行訓練を始めた、そういった手紙や礼状を多く受け取っていると、雄一郎氏は喜ぶ。しかし自分たちだけが卓越した体力や才能の持っているとは思っていない、そう話す。
「人にはそれぞれの目標、山というのが心にあるのではないでしょうか。誰もが心のエベレストを越えれば良いのだと思います」

 話を聞きながら、氏のスラックスに隠れたふくらはぎは、布の上からも躍動し、筋が堅く刻まれているのが分かる。老いない心とふくらはぎ、そして心のエベレストはきっとどこかで繋がっている。

(東京中日スポーツ・2003.10.24より再録)

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