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■セブンアイ 井上康生の美学
道衣を脇に抱えた小学生が、車から見送る母親に向かって手を振る。お母さんに手を振るのに一生懸命になっていて、通りを渡り切ると男性にぶつかってしまった。男の子はその時、「すみません」といった様子で深く頭を下げた。日本の街角で見たならどうということはない。しかし小学生が深く頭を下げる場面を見かけたのは、世界陸上で滞在していたパリであるから、少し驚いた。 「柔道教室をパリで子供たちに開いたことがあったんですね。僕は、『みんな、柔道はどこの国で始まったのか知っているよね!』と聞いたんです。そうしたら、子供たちが声を揃えて『フランスでーす!』って。あのなあ、って突っ込みたくなりました」 11日世界柔道が大阪で始まった。 例えば講道館に合宿に来る海外の選手はみな頭を丸めて来日したり、道場では履物を揃え、美しい姿勢で正座を続け、時々、日本人である自分のほうが「礼とは」を忘れて日々流しており、逆に教わる思いがする、と話す。どれほど激しい戦いに切れ味の鋭い技で勝ったとしても、相手を尊敬し、相手の「背景」というものを心から重んじることのできる柔道家になりたい。勝利への執着心以上に、静かな口調でそう話していたことを思い出す。 フランスのルメールとの決勝後、美しく、深い礼をして毅然と畳を降りた姿は、むしろ鮮やかな内股よりもはるかに印象に残るものだった。すべて一本勝ちという以上の何か、もしかすると心に秘めた「美学」の存在は、フランスで井上に柔道を教わり、この日、テレビにかじりついていたであろう子供たちにも十分に伝わったのではないか。 (東京中日スポーツ・2003.9.12より再録) |
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