■セブンアイ
 
一緒の誕生日


 末続慎吾(ミズノ)は、昼食でミートソースをネクタイに飛ばし、シミが取れずに頭を悩まし、私はそんなことはまったく知らずにネクタイを入社祝いに買っていった。世界陸上の直前、インタビューをした日のこと、「賢者の贈り物」ばりに、私たちは顔を見合わせ大笑いした。ネクタイをわざわざ着替え「いやあ、シミ付きじゃあ読者に失礼じゃないですか。これ俺に似合いますよねえ!」と、カメラマンに一生懸命アピールしてくれる、そういう気遣いをする男である。本当はそれほどの汚れではないのに。
 その際、こんな話をしたことを思い出す。

「高野先生が俺を見つけてくれたことが全てです。(東海大学時代の)4年かけてやっと先生の言葉が理解できるようになったんですよ」

 91年、小学生だった末続は高野 進コーチ(東海大)が4百メートルで決勝進出を果たすのを見て、「マジでスーパーマンだと思った」と回想していた。あれから12年、パリ郊外のサンドニ、スタット・ドゥ・フランスの競技場の階段で末続のスタートを待っていた高野は、愛弟子の挑戦に、12年前の大舞台よりもはるかに興奮していたし、気の毒なほど緊張していた。持っていたペットボトルのふたを取らずに、水を飲んでいたほどだから。

 仲の良い友人でもなければ、ライバルでもないし、お互いそれがうれしいわけではまったくないが、高野と私は、1961年5月21日生まれである。現場で会えば「お互い若くありませんからねえ」と笑い、冗談や嫌味、または時々励ましをする仲である。努力家で研究熱心な彼と、この私が同じ日に生まれたことは、「誕生日占い」といったものがいかに違うものであるかを示すひとつのサンプルである。

 引退という言葉を使わずに現役を去ったとき、
「次にここに戻ってくる日には、自分なんて比べることもできないくらいのスプリンターと来たいね。俺を越える奴? いっぱいいるよ」と笑っていたことはよく覚えている。末続の走りを見た日のことを「足の運びがきれいで思わず見入ってしまった」と話す。

 同じ年の、同じ日に生まれ、同じ時間を使いながら、しかし彼は銅メダリストを育て上げた。何も育てられない自分は敬意を込めて、しばらく、業界関係者に、「高野と一緒の誕生日」を自慢しようかと思っている。
 高野は「止めてくれ」と言うと思うが。

(東京中日スポーツ・2003.9.5より再録)

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