■セブンアイ
 
藤田俊哉


 眩しいほどの光を放つサッカー界のスターたちが欧州からナイジェリア戦に集結したころ、私は、オランダの小さな街・ユトレヒトで、藤田俊哉と好天の下、市内を包み込むように流れる運河を歩いていた。人々の笑い声や、定時に鳴り響く教会の鐘をバックに、バニラクリームをこぼさないよう細心の注意を払いながら。

「申し訳ない。ひとつお願いがあるんだけど、いいかな?」
「お願い? サッカーに関することでなければ何でも」
 何かと思えば、指差す先には菓子屋がある。
「アイスクリーム、買ってもらっていいかな。大好きなんだ」

 小銭がなく、代わりに1ユーロ、約130円で買って手渡す。ずいぶんとささやかな頼みであったが、思えば、リーグMVPとアイスを食べながら地元を歩くのは不可能だろう。今は、家族と離れていること、磐田サポーターの声援がない寂しさを除けば、例えばこんな風に、あてもなく見知らぬ街を歩く日々を心から楽しんでいるのだと藤田は声を弾ませた。

 もちろん、勝負をするために選んだ、困難な移籍である。
「まず全員の名前を覚えないとならないでしょう。それとタイミング。こんな当たり前のことを改めて確認するなんてね。こう見えても内心はかなり緊張してるんだ」

 17日の開幕戦(ズヴォレに1−0)に先発出場するまで、練習合流からわずかに4日間である。
 何事もなかったように見せてしまったデビューの水面下で、ベテランはぬかりがなかった。時差や気候へのコンディショニング、スパイクの選択、何よりサッカーというコミュニケーションにおける協調と、日本で築き上げた輝かしいキャリアの真価を凝縮させて、先発デビューのピッチに立った。

 仲間に名前を確認し、短い単語を書き留める31歳の姿を見ながら、十分な地位や名声を捨ててでも欲しかったのは、夢を叶えるなどといった漠然とした話ではなく、心からの緊張という実感だったと、わかるように思った。

 ユトレヒトを出る前日、「ありがとう」と言われた。1ユーロのアイスのお礼なら及ばない、と握手をしながら冗談を返すと、藤田は笑って言った。
「次は俺がご馳走するよ」

(東京中日スポーツ・2003.8.22より再録)

BEFORE
HOME