■セブンアイ
 
岩田暁美さん


 一死三塁、さて、これでホームを踏むにはどうすればいいか……キミは一体、いくつ言えるんだ? ヒットは当たり前だぞ。
 新聞社で巨人担当に配置されたとき、あるチームのヘッドコーチにこう質問されたことは今でも忘れられない。もちろん、意地悪である。女になんかスポーツはわかりっこない、ましてプロ野球なんだ、女・子供は引っ込んでろ、というわけだ。父にグラブとバットを買ってもらって野球を教えられ、小学生のころから打撃10傑を暗記していたような女性にする質問としては失策だったが、その時、コーチは「へー、キミは野球を知っているんだ。半分も答えられない男は結構いたよ」と言い、怒るよりも情けなくなった。

 今では、スポーツ界全体もアスリートの鮮やかな快進撃で、むしろ女性の方がメダルや記録を多く生むこともあるし、またこれを報道する側にも、女性記者やアナウンサー、キャスターがいることは何も珍しくない。
 しかし、元ラジオ日本のスポーツキャスターで、巨人・前長嶋監督の密書取材記者として活躍した岩田暁美さんと私が、野球に限らず現場に足を踏み入れた約20年前には、こんなことは年中起きていた。いちいち気にしたり、反論するより他にやることがあった。

 先週、岩田暁美さんが亡くなったことを記者たちからの電話で知り、彼女が同じ新聞社でアルバイトしていたころから数えると、すでに20年近く、現場で会えばいろいろと話すことのできる人だったことを改めて思った。
 巨人は当時・藤田元司監督で、その時も彼女は隣にいた。監督のお兄様が亡くなった時、監督は目前だった優勝に向け葬儀には行かない、と指揮をとっていた。ある試合後、監督のコメントを岩田さんに聞いたことがある。内容は淡々と、勝負にかける監督のものだった。しかし横で聞いていたからこそ、彼女は教えてくれた。
「そう言って、泣いておられた」

 彼女は、スポーツの現場取材というものが一体何なのか、そして、リアリティこそ、この仕事の魅力なのだと深い所で理解していた人であり、スポーツ報道に関わる人々にとって、もっとも重要な良心を遺していった。

 同じ1961年生まれで、同じ時代に、同じ現場にいられたことに心から感謝している。そして、どうしようもなく、寂しい。

(東京中日スポーツ・2003.8.1より再録)

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