■セブンアイ
 
不屈のライオン


 サッカーのコンフェデレーションズ杯準決勝で、カメルーンのMFフォエ選手が心臓発作で急死したと知ったとき、最初にエムボマ(東京V)の言葉を思い出した。
 フランスへ取材に行く直前、偶然にもエムボマを取材をしており、彼は、カメルーン代表であることが想像を絶する忍耐と節制によって成り立つものだと話していたからである。

「昨年のW杯代表は全員海外でプレーしていた選手たちだ。私たちは常に2つの国の空港とグラウンドを行き来しなくてはならないし、移動の過酷さを理解してもらうのは難しい。自分の体は自分で守るしかない」
 そう言いながら、例を挙げた。G大阪に在籍した時代、水曜日に試合をし、翌日関空からパリ経由でカメルーンへ。乗り継ぎを含めれば約2日を要するフライトで金曜日に到着してそのまま練習し、日曜日にジンバブエと戦い、また同じ空路で日本へ戻る。

 次の水曜日も試合に出場し、結局1週間で移動4日、残る3日で毎日試合を行った計算になる。欧州とは近いが、それでも予選や親善試合のためにアフリカ内を移動するだけでも困難で、同国にビジネス席付きの旅客機などはなく、荷物と共に物資輸送機に乗ることもあるし、未舗装の道を延々とバスに揺られ、パンと水だけの「ランチ」を胃に流し込むだけで試合に臨むこともあるという。エムボマは「疲れのサイン」と彼が呼んでいた異常を知らせる兆候を、決して見逃してはならないと強調していた。こうした日常を聞けば、何か起きないほうが不思議なほどである。

 フォエ選手の死因の最終的な究明は終わっていないが、サッカー強豪国の中でも最も貧しいとされる国の代表を務めるために、彼らが費やしていた時間と困難、注ぐ愛情と誇りは、間違いなく今回の悲劇の側面である。過酷な日程の中、高熱と不調に眠れず、予選でも準決勝でも、おそらく何度かの発作に見舞われながらも、フォエ選手は、かつて所属したリヨンでのプレーと、何よりも赤と黄色と緑のユニフォームでピッチに立ち続けた。出場給、ボーナスの保証はないチームである。

 カメルーン代表のニックネーム「不屈のライオン」が、今やっと、休めるのだとすれば、あまりに過酷である。

(東京中日スポーツ・2003.7.11より再録)

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