■セブンアイ
 
阪神ファン


 マジック点灯の夜、大阪では号外が配られ、翌日のスポーツ新聞では6ページ使ってそれを特集し、ワイン、清酒はもちろんのこと、なぜかカツオ節、塩昆布まで「阪神マーク」付きで売られている。

 出張で大阪に行った。梅田の電光掲示で見えた気温は32度だったが、街中の「体感気温」は、もちろんそんなものではない。
「でもね、正真正銘の阪神ファンは……」
 友人のハヤマさんは、声を潜める。
「それだけは絶対に口にしないのよ。あそこに限って、最後まで本当にわからないんだから」
 あの二文字のようだ。

 阪神ファン歴、じつに46年という彼女は、東京出身で家族にも関西出身者はいないし、周囲に熱烈な阪神ファンや野球ファンがいたわけでもない。それなのにどうして、阪神ファンなのか、ずっと知りたいと思っていた。
「女子高校生だったころ、父親と後楽園で初めて野球を見た。巨人対阪神。野球はわからなかったけれど、勢いがあって、なんだか存在感があって」と一人の投手の姿にとても惹かれてファンレターを送ったそうである。
 見事な制球力から、針の穴を通す、とか、精密機械、と呼ばれていた小山正明氏である。何も期待していなかった女子高校生は、ていねいなお礼に腰を抜かさんばかりに驚く。

 高校生が送ったたった一枚の、それもつたない葉書に、小山氏はサインを付け、「これからもがんばりますので阪神を応援してください」と書いてくれた。かくして、大阪とは無縁のハヤマさんは、小山氏が歴代3位となる320勝をあげて引退した後も、最下位でも、優勝でも、ファンレターの返信を受け取ってから46年間、阪神を応援し続けてきた。

「選手からお礼なんて、時代が違うって言う人もいるけれど、そうは思わないの。向こうは覚えていなくても、私には宝物よ。そうそう、切符が取れたから行ってくるわね」
「巨人、阪神戦ですか?」
「阪神、巨人と言ってちょうだい」
 今ごろ、今日からの甲子園のでの3連戦に向かうため新幹線に乗っているはずだ。
 セ・リーグ最短V記録は90年9月8日だったろうか。そういえば、私が巨人担当をした年の記録である。

(東京中日スポーツ・2003.7.4より再録)

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