■セブンアイ
 
エクスレバン


 フランス第二の都市・リヨンからモンブラン方面へ約1時間半、車は、湖と温泉となだらかな丘に輝くブドウ畑に囲まれ、素朴で温かな心で見知らぬ日本人を受け入れてくれた小さな街へと向かっていた。

 サッカーのコンフェデレーションズ杯予選で日本代表がコロンビアに敗れた翌日、怒濤の締め切りで雑巾のようになった体をレンタカーに押し込み、日本が初めてW杯に出場した98年、キャンプ地として約1か月滞在したエクスレバンにリヨンから車を走らせる。
 当時宿泊したホテルのマダム・シギは、宿泊していたメディアの車から病院、盗難すべての世話をしてくれた。カフェで毎朝必ずコーヒーを飲み、気のいいお兄ちゃんはいつでもお代わりをご馳走してくれたっけ。カフェの前の広場に湧く冷たい水を、皆で毎日ボトルに詰めて練習に通ったものだ。

 練習場を見ようと急ぐと、スタジアムの問を管理人が閉めかけていた。しかし日本人とわかると、笑顔で「どうぞ」と招き入れてくれた。
 エクスレバンは変わっていなかった。「薬屋」「ようこそ」などと書かれた店の看板が多く残り、もちろん、優しい人たちも。

 当時の、日本代表のボランティアにメールで「ちょっと寄りました」と伝えて怒られてしまったが、なぜかそっと行って、黙って帰りたかった。彼が、コンフェデのフランス対日本がいざ始まると、テレビの前の全員が一斉に日本サポーターに変貌したと笑い、98年の代表でフランス戦に先発したのは中田と楢崎だけだと知っていた。
「はっきり言ってフランスよりもずっといいサッカーだったし、感動した。PKを取られた瞬間、僕らもウソだ! と絶叫したんです。エクスレバンは今も日本代表を愛しています」

 帰りにワインを買うため、小さな店に寄った。98年にも滞在した、と言うと、男性はうれしそうに財布を出して、何かを探し出す。ボロボロになった日本協会のスタッフの名刺を、今でも持ち歩き、「選手も息抜きに店に来てくれたんだ。また会えたらいいな、といつも思って名刺は捨てないでいる」と笑った。

 車のバックミラーで、夕焼けに染まり始めた小さな街を見ながら、なぜ知人に黙って行ったのかわかった。帰れなくなるから。

(東京中日スポーツ・2003.6.27より再録)

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