■セブンアイ
 
2度目の挑戦


「今年8月から向こうへ行こうと」
「向こうって? またドイツへ」
「ええ。小さな町ですが、契約を結んでくれるクラブがあります。この歳になってやっとわかることも、まだ伸びることもある。もう一回挑戦したいんです」
「でもブンデスは日程が厳しいんでしょう? それにしてもおかしな話だよね」

 サッカー日本代表の取材のため大阪出張が長く続いた先週、私は「ブンデスリーガー」(ドイツプロリーグ)と楽しい食事を共にしていた。ブンデスといってもハンブルガーSVに在籍するサッカーの高原直泰ではない。ドイツスポーツ界ではもっとも知名度の高い日本人アスリート、卓球の松下浩二である。

 吹き出したのは、彼を初めて取材した十数年前の言葉を思い出したからだ。卓球で日本チャンピオンになっても食べていけない、だから卓球は早く辞める、そう宣言していた。その後、卓球界でプロ一号となり、単身ドイツに渡りプロ契約を果たし、世界サーキットを転戦する中でランキングを急上昇させる。世界選手権9回、来年のアテネに出場すれば五輪4回、誰よりも長く、世界的に評価されるキャリアを積むおもしろさである。

 忘れられない話がある。最初にドイツで暮らし始めたとき、交通事故で濡れ衣を着せられたことがある。彼は費用や不自由な言葉、何より偏見と闘いながら裁判に勝った。
「意地ですよ、意地。自分が間違っていないのに、偏見や差別から濡れ衣を着せられることに我慢できませんでした」

 海外で活躍する選手の存在は特別なものではなくなった。サッカーや野球では言葉と仕事場を除けば、多くの場合、不自由のない生活を送っている。一方でマイナーと呼ばれる競技者たちの闘いは、自分を含めたスポーツメディアの怠慢で正当に扱われてはいない。ここ2年、日本をベースにしていた松下の2度目の決意を聞きながらの昼食は、どんなレストランのそれより豪華で深い味わいだった。

 8月、シュツットガルト郊外のクラブに移籍する。2度目の挑戦は、自分に続く若い世代を育てるためでもある。同じ月、36歳になる。早く辞めると言ったのに。

(東京中日スポーツ・2003.6.13より再録)

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