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暁の超特急


 私、「鉄腕・稲尾」じゃないんですから、そんなに連投で原稿書いたら肩、壊します……若い編集者にそう言ったら、ハア? と言われてしまった。「そのくらい知っていて下さいよ」と嘆いたのだが、自分も先輩記者のみなさんに笑われるところであった。
 陸上百メートルの吉岡隆徳氏が「暁の超特急」と呼ばれていることは知っていても、それが「深夜の超特急」が存在していたから村けられたニックネームだったとは。実に怪しいスポーツライターである。

 1932年のロス五輪で6位となったこと、「暁」と呼ばれたこと以外あまり知られていないが、実は、日本のスプリンターで唯一人の世界記録保持者(10秒3、タイ記録)でもあった。ロス五輪、金メダルを獲得した黒人トーラン選手が、「深夜の超特急」と呼ばれており、それに対し先に朝を迎える日本から来た吉岡氏が「晩」と呼ばれたのだそうだ。資料を読みながら胸が痛んだ。

「私の生活のすべては、まばたき1回でも速く走るためにあるのだ」
「練習だけが全てで、時々、死にかける。しかし命をかけても、私は速く走りたい」

 吉岡氏がこう願いながら0コンマの更新にかけてから実に70年、今日6日から始まる陸上の日本選手権(横浜国際競技場)百メートルで、今季絶好調の末續慎吾(ミズノ)らが、吉岡氏も夢みた9秒台にチャレンジする。10秒にこれほど期待を抱き、胸が高鳴るレースも久しぶりのことだろう。伊東浩司氏が10秒をマークした98年以降、同氏や、同氏に続いた若きスプリンターたちが海外遠征をし、あるいは独自のトレーニングを生み出し、「日本人が9秒台で走れるはずがない」といった思い込みを、見事に変革してきた。

 トレーニングも、栄養も、もちろんスパイクやトラックの材質も大きな進化を遂げた。しかし、身長165センチ、60キロと、肉体的には圧倒的に不利だったはずの吉岡氏が、「まばたき1回分でも速く走りたい」とした強烈な本能や、壮大な夢が、日本人スプリンターの進化の原動力であることは変わらない。

 さて、もし末續たちが、10秒の壁を突破したら、何と呼ばれるのだろう。それもまた楽しみである。

(東京中日スポーツ・2003.6.6より再録)

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