■セブンアイ
 
丹頂鶴


 この双眼鏡ではどうにも見えませんねえ。
 声に振り返ると、小さなオペラグラスを手に老夫婦が残念そうに笑っている。2つの双眼鏡を首からぶら下げている私はかなり怪しいが、仕方がない。ひとつはオンタイムのスポーツ用、ひとつはオフタイムの丹頂(鶴)観察用である。子供のころは、双眼鏡で動物を追う「動物学者」になると固く決めていたのだが、なぜか、かなり動きが激しく、しばしば双眼鏡からはみ出してしまうアスリートたちを追いかけるのが仕事になった。
 どうぞこれでご覧になってみて下さいと、ピントを湿原の中にある豆粒のような鶴に合わせて渡すと、夫妻は代わりばんこにのぞき込んで感嘆の声を上げている。体長20センチ程のヒナが両親に挟まれ懸命に歩きながら、餌をもらい、疲れると親の羽に潜り込む。以前テレビで見た丹頂の子育てに感動して、フルムーン旅行に道東を訪れたそうだ。

 私も時間を作って道東に行くようになって以来、今の季節、丹頂の番(つがい)が交代で卵を首め、卵を孵し、子育てを始めることを教えられた。極めて稀だが、運良く、抱卵している姿が見られる場所では、大の大人たち(主にカメラマンだが)が、かすかに見える卵を巡って一喜一憂し、早朝から「(卵が孵る前兆の)ヒビが見える」とか、「ヒナ確認」と興奮気味に電話連絡をし合う。泊り組もいてご自分の家族愛はどうなのだと笑いたくもなるが、一時は絶滅の危機に瀕した丹頂が約800羽までになった背景には、おかしな言葉だが、鶴の持つ「人間らしさ」が人々を魅了してきたことにあるようだ。

「こんな素敵なものを見られるなんて、幸せでしたねえ、お父さん」
 100日程で始まる飛行訓練も面白いですよ、と声をかけると、ご主人が言った。
「あんな小さい雛が頑張っているんだ。お母さん、受けますよ手術。戻ったら入院し、治してあの子が飛ぶのを見に来ましょう」

 ご主人は危険を伴う手術をするかどうか、悩んでいたという。2人は誕生したばかりの鶴の家族を背景に、しばらく泣いていた。
 九州の一部と高知から駆け出した桜前線が2か月もかかって最後の到達地、釧路・根室地方にようやくたどりつく頃である。

(東京中日スポーツ・2003.5.23より再録)

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